数々の伝説
@剛球投手
槙原は、大府高校当時から剛速球で注目を集めていた。
プロ入り後、デビュー戦でいきなり完封勝利を収めて一躍ローテーション投手となった。
そして、1984年には155キロというスピードガンできて以来の最速記録を打ち立てている。
その剛速球で1988年には187奪三振でタイトルを獲得。
プロ通算で2111もの三振を奪っている。
A阪神の強打線にバックスクリーン3連発を浴びる
1985年4月17日、巨人×阪神2回戦で槙原は先発した。剛速球を売り物にして阪神打線に立ち向かい、6回まで1失点に抑える好投を見せた。
3−1で巨人リード。そして、7回裏がやってきた。
2死からバースが逆転3ラン。
7回裏、簡単に二死一二塁で打席は3番バース。
バースは、槙原の初球のストレートを豪快にバックスクリーンに叩きこみ、4−3と逆転。
さらに4番の掛布がカウント1−1からストレートをバックスクリーンにソロホームラン。その興奮が冷めぬうちに5番岡田がカウント1−0からスライダーをバックスクリーンへソロホームランを放った。3連発を浴びた槙原は、マウンドに立ち尽くした。
このバックスクリーン3連発は、奇跡と呼ばれ、阪神タイガースはこの3連発以降快進撃を続けて打ちまくり、この年は日本一にまで登り詰めている。
それに対し、巨人は3位。槙原は、4勝7敗に終わっている。
B同じ年にまたも阪神打線の犠牲に
1985年5月20日、巨人×阪神戦の先発は槙原だった。
槙原は、この試合でも6回まで好投。阪神打線を無失点に抑えて5−0としていた。
が、またしても7回だった。しかも2死。
満塁の場面で打席に立った代打の佐野仙好は、槙原のカーブを満塁本塁打する。
勢いに乗った阪神は、真弓明信も逆転2ランで続いて、またしても大逆転を許した。
Cフリーエージェント宣言で17本のバラ
1993年オフ、日本のプロ野球史上初めてフリーエージェント制が施行され、4人の選手がFA宣言をした。
槙原も、そのときFA宣言をし、他球団の評価を聞いた。
しかし、戦力の低下を憂慮した巨人の長嶋監督は、槙原を慰留するため、背番号と同じ17本のバラを持って自宅を訪問。
それに感動した槙原は、FA移籍を断念。初めてFA残留の道を選んだ。しかし、皮肉にもこのFA宣言残留がその後、年俸引き上げの手段として使われるようになり、一流選手の年俸高騰を招いている。
D完全試合達成
1994年5月18日、福岡ドームで行われた巨人×広島戦で槙原は先発した。
その2日前の夜、槙原は、飲みに出掛けて門限を破り、コーチから外出禁止を言い渡される。ただし、次の登板結果次第という条件付きでもあった。
この試合は、巨人通算7000試合目でもあった。
槙原は、初回から飛ばし、一人のランナーも許さない。
巨人打線も爆発し、6−0というスコアで9回を迎えた。
槙原は、この日抜群の切れがあった直球を主体としたピッチングで9回2死までこぎつけた。
槙原は、落ち着いて最後の打者も1塁のファールフライに打ちとって完全試合を達成した。
これは、1978年の今井雄太郎以来16年ぶり、巨人では史上初の完全試合を達成した藤本英雄以来44年ぶりとなった。もちろん、槙原の外出禁止は解かれた、という。
E伝説の10.8で先発
1994年、一時独走態勢に入っていた巨人も、打撃陣の不調が響いて10月8日時点でわずか1試合を残して中日と並ばれてしまう。
そして130試合目に勝った方が優勝という緊迫した中で10月8日の巨人×中日戦が行われた。
先発は、中日が今中、巨人が槙原だった。
試合は、2回に四番落合博満の先制本塁打などで2点リードするが、その裏、槙原も打たれて同点に追い付かれる。巨人は槙原をあきらめて2回に早くも斎藤をマウンドに送り込んだ。
3回には再び落合のタイムリーでリードを奪い、その後もリードを広げた。斎藤は槙原の後を受けてから6回終了時点まで5回3安打1失点と好投。
7回から斎藤に代わって桑田がリリーフのマウンドに上がり、そのまま無失点で切り抜けて3本柱をすべて投入した巨人が6×3で勝ち、優勝を決めた。
F1994年日本シリーズMVP
1994年の日本シリーズは、巨人×西武の戦いとなった。第1戦を大敗した巨人は、第2戦の先発に槙原を立てた。
槙原は、期待に応えて西武打線を4安打完封。1回裏に挙げた1点を守り抜いた。
そして、巨人の3勝2敗で迎えた第6戦では先発の槙原が再びの好投を見せ、3−1で勝利し、日本一を決め、槙原は胴上げ投手となった。
槙原の成績は、2試合で2勝、防御率0.50で、文句なしのMVP獲得だった。
http://pospelove.com/h56-giants.htm による
年度 | 所属 | 試合 | 勝数 | 負数 | S数 | 投球回 | 防御率 |
1982年 | 巨人 | ― | ― | ― | ― | ― | ― |
1983年 | 巨人 | 31 | 12 | 9 | 1 | 184 | 3.67 |
1984年 | 巨人 | 27 | 8 | 9 | 0 | 145 2/3 | 4.7 |
1985年 | 巨人 | 14 | 4 | 7 | 0 | 92 1/3 | 4 |
1986年 | 巨人 | 22 | 9 | 6 | 0 | 114 | 2.29 |
1987年 | 巨人 | 21 | 10 | 6 | 0 | 140 1/3 | 3.4 |
1988年 | 巨人 | 27 | 10 | 13 | 0 | 208 2/3 | 2.16 |
1989年 | 巨人 | 21 | 12 | 4 | 4 | 150 2/3 | 1.79 |
1990年 | 巨人 | 17 | 9 | 5 | 0 | 102 1/3 | 3.96 |
1991年 | 巨人 | 25 | 9 | 12 | 0 | 186 | 3.39 |
1992年 | 巨人 | 29 | 12 | 13 | 1 | 196 | 3.58 |
1993年 | 巨人 | 28 | 13 | 5 | 0 | 173 2/3 | 2.28 |
1994年 | 巨人 | 29 | 12 | 8 | 0 | 185 | 2.82 |
1995年 | 巨人 | 26 | 11 | 8 | 0 | 190 2/3 | 2.88 |
1996年 | 巨人 | 18 | 6 | 6 | 0 | 122 1/3 | 4.12 |
1997年 | 巨人 | 25 | 12 | 9 | 0 | 150 2/3 | 3.46 |
1998年 | 巨人 | 36 | 6 | 4 | 18 | 81 1/3 | 3.98 |
1999年 | 巨人 | 45 | 4 | 3 | 23 | 41 1/3 | 2.83 |
2000年 | 巨人 | 21 | 0 | 1 | 9 | 19 2/3 | 4.12 |
2001年 | 巨人 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1/3 | 0 |
通算成績 | 463 | 159 | 128 | 56 | 2485 | 3.19 |