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           時習館3回生 卒業50周年記念誌「寄稿文集」より・・・平成13年(2001年)

渥美政雄先生と高校野球

松永整二

 時習館を卒業して50周年になりますが、私の高校時代は特に渥美政雄先生の教えを受けて、勉強と野球を両立させて頑張りました。先生は基本は何であるかを教えられましたが、それは「まず勉強をし、その次にスポーツがある」ということでした。かつて滝川中学のお教え子である別所毅彦投手(南海→巨人)のことなども話してくださいました。
 先生は、中学校から優秀な生徒をつれてくるのではなく、野球部に入部した生徒を鍛えあげて、三河地区の二次リーグ、県大会へと出場出来るように指導してくださいました。
 当時野球部に所属していた同級生5名を中心に、思い出と感想を記したいと思います。

 まず特筆したいのは、昭和23(1948)年度の全国高等学校野球選手権大会・愛知県予選の決勝戦にに駒を進めたことです。鳴海球場で享栄商業と対戦し、残念ながら5:1で敗れて甲子園出場はならなかったが、この試合に一年生でレギュラーとして出場したのが故芳村亮雄(3番・三塁手)、田嶋義雄(8番・捕手)、斉藤信夫(9番・右翼手)の3君でした。私も最終回に代打で登場し、ショートゴロで打点1を記録しました。また、故鶴見崇君もベンチ入りしておりました。
 豊橋球場(東八町)が完成したのは昭和23(1948)年の夏でしたが、同球場の記念すべき第1号ホームラン(オーヴァーフェンス)を放ったのは故芳村亮雄君です。「時習館野球部史」(昭和56年刊・野球部OB2回生林弘編著)によれば、その日は昭和24(1949)年4月29日でした。
 その後、渥美政雄先生率いる時習館高校野球部は、昭和27・28(1952・1953)年度と2年連続して春の選抜大会に出場を果たし、昭和28(1953)年度には市岡高校(大阪)に3−1で勝ちました。応援に行った野球部OBと一緒に、甲子園のスタンドで校歌を涙ながらに歌いましたが、いまだに忘れえぬ懐かしい思い出です。

 最近の高校野球は、県立高校と私立高校の差がはっきりついております。高校野球も学生としてのスポーツであるべきで、野球をやる前に学生であることを忘れないで欲しいと思います。我々野球部OBは、学生のスポーツであることを自覚し、それを実行している時習館高校の野球部を応援しています。3回卒業生5人のうち、芳村亮雄君と鶴見崇君が亡くなりましたが、田嶋義雄君と斉藤信夫君と3人で、楽しみながら5人分の応援をしていきたいと思っておます。(当寄稿文の著者 松永整二くんは、2005年6月10日永眠されました)


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