■第84回選手権(平成14年・2002年)の愛知県大会 45年ぶりの“ベスト4”(続)
準決勝(東邦戦)
回 |
東邦 |
時習館 |
. |
時習館 |
. |
投手 |
時習館 |
原(4回・6安打)、鈴木宏(4回・3安打) |
1 |
0 |
0 |
守備 |
氏名 |
打 |
安 |
点 |
東邦 |
三浦(6・2/3回・2安打)、長峰(2・1/3回・1安打) |
2 |
0 |
0 |
5 |
石田 |
4 |
0 |
0 |
長打 |
二塁打 |
原・成田(時)、岩間(東) |
3 |
0 |
0 |
7 |
陶山 |
3 |
0 |
0 |
三塁打 |
― |
4 |
3 |
0 |
PH |
伊東 |
1 |
0 |
0 |
本塁打 |
― |
5 |
0 |
1 |
3 |
高橋 |
4 |
0 |
0 |
. |
打 |
安 |
点 |
振 |
球 |
犠 |
盗 |
失 |
併 |
残 |
6 |
0 |
0 |
8 |
成田 |
4 |
1 |
0 |
時習館 |
29 |
3 |
0 |
13 |
3 |
0 |
2 |
1 |
1 |
4 |
7 |
0 |
0 |
1・9 |
原 |
3 |
1 |
0 |
東邦 |
28 |
9 |
4 |
6 |
2 |
3 |
2 |
1 |
2 |
5 |
8 |
1 |
0 |
2 |
峰野 |
2 |
0 |
0 |
. |
9 |
X |
0 |
9 |
池田 |
2 |
0 |
0 |
計 |
4 |
1 |
1 |
鈴木宏 |
1 |
0 |
0 |
. |
4 |
岡崎 |
2 |
1 |
0 |
4 |
青山 |
0 |
0 |
0 |
6 |
鈴木健 |
2 |
0 |
0 |
PH |
尾上 |
1 |
0 |
0 |
6 |
早川 |
0 |
0 |
0 |
|
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5回捕手の悪送球で原が生還 |
最後まで勝利を信じ続けた応援団 |
敗れても、さわやかな時習館ナイン |
時習館、力尽きる
第84回全国高校野球愛知大会は27日、準決勝戦を行い、東三河地区から唯一進んだ時習館は、東邦の前に屈し、無念の涙をのんだ。序盤は投手戦の様相であったが、4回裏に原投手が東邦の猛攻にあい、4安打を浴びて3点を失った。4回表に死球で出た走者・原がかかんに盗塁し、相手のエラーで1点を返したが、その後は東邦の2投手の前に凡打、三振の山をきずき完敗した。時習館が奪った安打は3本、反対に13三振を喫した。5回から鈴木投手が東邦打線をかわしたが、8回には無死満塁から押し出しの四球を与え、時習館の夏は終わった。
果敢に盗塁、意地見せる
3点差を追う時習館は五回、原が死球で出塁。二盗で一死二塁とし、さらに三盗。この走塁が東邦の捕手・坂野の悪送球を誘い、原が一気に生還。1点を返した。
先発原は序盤、緩いカーブを有効に使い、束邦打線に的を絞らせなかったが、四回、高めの直球を狙い打ちされ、三連打を浴びて3点を奪われた。
五回からリリーフした鈴木宏は、低めを丁寧につく投球で八回の1失点に抑えた。
時習館打線は、東邦の先発三浦の切れの良いカーブに手こずり、散発の2安打。七回には三浦を二死一、二塁と攻めたが、リリーフ・長峰の伸びのある直球に後続が打ち取られた。
〔時習館・藤城義光監督〕
強豪相手に選手たちは最後まで頑張った。この大会で選手たちはたくましくなった。
〔時習館・高橋拓馬主将〕
三浦投手のカーブが打てなかった。決勝で中京と試合したかったが、ベスト4まで勝ち残れて満足しています。
〔時習館・鈴木宏征投手〕
最後に自分の持ち味を出せた投球ができた。一生の思い出になります。
やまない大声援、勝利信じたスタンド
この日、選手たちは東邦相手に一歩もおくすることなく戦いを挑み、その敢闘精神は五百人をのみ込んだ時習館応援席にも熱く伝わった。
大河原校長は「普段どおりの野球をしている。大したものだ」と満足そう。野球部私設応援団の近藤隆三団長(52)は「実力は一歩譲るが、勝負への執着心は負けていない」と頼もしそうに見つめた。
応援席がいちばん沸いたのは、五回表の時習館の攻撃。原が相手の裏をかいて二盗、三盗を決め、悪送球で生還すると、「ここから勝負」「続け、続け」の大合唱となった。
スタンドでは同校OBの早川勝・豊橋市長と中野勝之・豊川市長も熱心に応援。中野市長は「強豪私学と時習館では、練習環境に雲泥の差があるが、ハンデイをはねのけ、よく勝ち残った。これぞ高校野球の原点」と話した。
試合後、しばらくは放心状態だせた応援席も、スタンド前に選手が駆けつけるや、総立ちで拍手を送り、「ごこまでよくやった」「夢をありがとう」と活躍をねぎらった。
時習館の追撃及ばず
東邦が今大会の勝ちパターンの守り勝ちをこの日も貫き、三浦−長峰の継投で3年ぶりの決勝進出を果たした。
東邦の先発三浦は、落差のあるカーブを使い、四回まで被安打1。五回に1点を返されたが、すぐ立ち直り、七回途中まで10奪三振。この回二死一、二塁から救援した長峰も、力のある球で反撃を封じた。
打線は四回、中軸が好打した。高木の先制打、岩間の左中間二塁打で計3点と、大勢を決する攻撃となった。八回にも内野安打に失策、四球で満塁とすると、押し出しで貴重なダメ押し点を加えた。
時習館は6連投の原の制球が中盤から甘くなった。
救援鈴木宏は東邦の追加点を八回の1点だけに食い止めたが、打線が連打を出せなかった。五回無死から死球で出て二盗した原が、三盗の際の捕手悪送球の間に生還した一点だけにとどまった。
6連投時習館の原、悔しさと誇らしさ
四回に4安打を浴びた時習館の原は無念の降板。鋭いカーブと130`台のストレートで躍進の原動力となってきたものの「相手の力が上だった」と唇をかんだ。
打ち気にはやる束邦打線を緩いカーブでタイミングをずらすなど、三回まで好投した。県立の進学校に46年ぶりの決勝進出の期待がふくらみかけた。しかし、6連投の疲労は深刻。「肩は心配ない」と臨み「球は甘くなかった」と強調したが、実際には球速が落ちた
東日新聞撮影 |
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応援席の皆さんの飲み物を用意する父母の会の皆さん |
ノックをする藤城監督、捕手峰野 |
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昨日の準々決勝戦以上に熱い応援団、グランドとスタンドは一体 |
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ノックにも気合が入る。ノックを終えたF陶山、G成田、P大森、O白井 |
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スタンドに試合前の挨拶 |
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いよいよ準決勝戦、ホームベースに向かってダッシュ。右から高橋・鈴木健史・石田・陶山・成田・岡崎・早川・峰野 |
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好投する原 |
随所にナイスプレー。ファースト高橋主将 |
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粘り強い池田のバッティング |
死球後二盗、三盗、暴投を誘い初得点する原 |
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暑さも忘れ、演奏するブラスバンド |
時習館OBの早川豊橋市長(麦わら帽子)、
中野豊川市長(青色の野球帽)もスタンドで応援 |
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暑い中、声援を送る先生 |
盛り上がる応援席 |
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ナイスバッティングの原。サードコーチャーはP大森 |
原に代わり好投する鈴木宏征 |
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必死にヘッドスライディングする尾上 |
鈴木宏征を盛り上げるナイン。
A峰野・正面は早川・E鈴木健史・B高橋主将 |
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気持ちを入れ替え!このあとピンチを切り抜けました |
最終回、攻撃前の激励をする藤城監督。
E鈴木健史・Q藤原・O白井 |
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最終回、祈る気持ちは皆同じ、スタンドはまだあきらめていません |
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残念4対1で試合終了、東邦との挨拶を終え引き上げるナイン(すばらしい試合をありがとう) |
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応援してくれた皆さんへ挨拶。すばらしい夏をありがとう。 |
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................................................... |
試合後インタビューを受ける
藤城監督 |
7試合を投げた原、ご苦労様 |
鈴木宏征お疲れ様、
気合の投球おみごとでした |
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藤原、成田、陶山、君たちの笑顔はすばらしかった |
試合の余韻がまだ残る選手とスタンド。
左から成田・早川・陶山・池田・鈴木健史・高橋主将・岡崎・石田 |
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後列左より:藤城義光監督、J青山、H池田、K原田、A峰野 中列左より:M早川、E鈴木健史、L尾上、O白井、C岡崎、N伊東、P大森、I鈴木宏征 前列左より:木藤政美部長、Q藤原、G成田、@原、F陶山、B高橋主将、D石田、坂口久乃マネージャー |
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君たちは本当に輝いていました |
高校生活最後のグランド整備を終え、熱い夏が終わりをつげた |
【2002年8月6日 東日新聞掲載記事】
時習館野球部マネジャー 坂口久乃
2002年7月27日(準決勝の東邦戦に敗戦の日)。私の野球生活が終わった。半年の休部があったので、実際は2年足らずの野球生活だった。午後8時30分。まだ数人の部員が部室前に残っていた。私も帰る気にはなれずにそこにいた。終わったという実感は持てなかった。まだ続けたいのはだれもが一緒だった。でも認めなくてはいけない。もうこのグラウンドで一緒に練習はできない。明日は日曜日なのに試合はない。そう思うと涙があふれて止まらなかった。
何でも完璧に出来た訳ではなかった。何度も部員とけんかをし、やめようと思ったこともあった。それでもやめられなかったのは野球が好きで、同じくらい部員全員のことが好きだったからだ。「マネジャーも部員の一員なんだから」。そう言って同じように扱ってくれたみんなが支えてくれたから最後までやってこれたんだと今改めて思う。
記録員としてベンチ入りすると決まった時に迷いはあった。スタンドで大声で応援したいという気持ちもあったが、選手たちと一番近いベンチにいたいという気持ちもあった。結局記録員として登録してもらった。やはり最後の夏は一番近い場所で選手の頑張る姿を目に焼き付けようと思ったからだ。選手の胸にかかっていたお守りは4月から準備していた。一人ひとり名前を刺しゅうした。グラウンドでの練習を忘れないで、学んだことをすべて発揮できるように、それぞれの守備位置の砂を入れた。後でテレビ中継のビデオを見た時、胸につけたお守りを握りしめている選手の姿が映し出されていた。それを見た時、うれしくてたまらなかった。プレーはできないけれどプレーの支えにはなれたのかなあ。
選手の一人は、けがで思う存分練習も出来ず、痛み止めを飲んでの出場だった。投げたいのに投げられないつらさ。期待されている分だけ不安が増える。気持ちは分かるのに何も言えない自分がいやだった。何か言いたいのに何を言えばいいのかが分からなかった。隣にいた時間は長かったけれど、話したことは少なかったかもしれない。それでも「助けられた、ありがとう」と言ってくれた。その言葉にありがとうと返した。東邦戦では思いっきり投げられたと私は思う。ほかの部員もいい球だったと言った。
17人の3年部員と24人の1、2年部員、5人のマネジャー、先生たち。みんなのおかげでここまでやってこれた。「全員野球」という言葉がぴったりだと思う。部員や父母、応援に来てくれた大勢の人たちに伝えたい。
「ありがとう」
愛知大会は、東邦が中京大中京を4−2で敗り出場した。
全国大会は明徳義塾が優勝した。
2006年1月6日当時の父母の会会長高橋良郎さんが、わざわざ浜松の筆者宅まで
お出でになり、いろいろ資料をいただきました。有り難うございました。
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