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第41〜49回 夏の愛知県大会の成績
第41回(昭和34年・1959年) . 第42回(昭和35年・1960年) . 第43回(昭和36年・1961年)
2回戦 時習館 8:1 名古屋商 2回戦 津島商工 1:0 時習館 2回戦 名古屋西 6:0 時習館
3回戦 津島商工 5:1 時習館 . .
(本年鳴海球場廃止)
第44回(昭和37年・1962年) 第45回(昭和38年・1963年) 第46回(昭和39年・1964年)
2回戦 時習館 4:1 昭和 2回戦 時習館 2:0 新城 2回戦 時習館 7:3 犬山
3回戦 時習館 4:3 稲沢 3回戦 大府 1:0 時習館 3回戦 時習館 6:0 小牧
4回戦 瀬戸 2:0 時習館 . 4回戦 愛知 2:0 時習館
. (3月3日本館全焼)
昭和40年3月、藤田良彦先生
国府高校へ転任
第47回(昭和40年・1965年) 第48回(昭和41年・1966年) 第49回(昭和42年・1967年)
2回戦 名古屋商 3:2 時習館 1回戦 中京商 10:0 時習館 2回戦 岡崎 8:4 時習館

                  
                      昭和38年(1963年) 秋季東三リーグ戦優勝

              
                      昭和42年(1967年) 秋季東三リーグ戦優勝



       第41回選手権大会(昭和34年・1959年)の愛知県大会
 
 七月二十一日から、熱田、豊橋、一宮、刈谷、中日球場で開催。(高校野球に親しまれてきた鳴海球場は今年廃止された)
 時習館は、三回戦で津島商工に敗れる。

 一回戦 不戦勝

 二回戦 七月二十二日 一宮球場

  時習館  2030120−8 (七回コールド)
  名古屋商1000000−1

   時習館、名商に大勝
(朝日)時習館は立上り名商バックスの重なる不手際で労せず先制点をあげ、三回には救援投手足立の代りばなをたたいて勝負を決めた。名商もかなり抵抗を見せたが、なにしろ内野の動きが鈍く、大事なときにエラーを重ね、一点をむくいたにとどまった。

 三回戦 七月二十四日 刈谷球場

  時習館  100000000−1       三塁打 繁原、福岡
  津島商工40001000X−5       二塁打 小林、竹内

 【メンバー】 18太田弘 3藤井 7小林幹男 89繁原武明 2竹本尚美 61加藤 5竹内靖雄 5中村 PH松本 9佐野基幹 6鳥山紘之 4安藤勇機

  時習館、涙をのむ 津島商工、一回の痛打
(朝日)時習館は立上り小林幹男、繁原武明が河竹のカーブが真中にくる ところをねらい内、二長打で一点を先取したものの、津島商工にその裏大量点を許してしまった。 津島商工この回の攻撃は三塁失と暴投を足場に、長短四安打を集めた堂々たるアーンドランであった。河竹はこのリードに気をよくし、二回以後はカーブを内、外角に散らして時習館を散発打に押えた。時習館も二回球威のない太田弘を退けて送った加藤が、相手打線をよく押えていた。それだけに時習館にとっては立上りのつまずきが痛かった。

 愛知代表は、中京商業が3−2で一宮商業を破り、二年連続出場。
 全国大会は西条高校が優勝。



       第42回選手権大会(昭和35年・1960年)の愛知県大会

七月二十一日から、熱田、豊橋、一宮、刈谷、中日の四球場で開催された。
 時習館は、初戦津島商工に1点に泣いた。

 一回戦 不戦勝

 二回戦 七月二十二日 刈谷球場

  時習館  000000000 −0
  津島商工000000001X−1

 【メンバー】 7吉田満 6中村 7繁原武明 2加藤 1佐野基幹 4安藤正和 9水野文男 3佐久間 5白井

   時習館、不運の九回裏
(朝日)息づまるような熱戦だった。横井がスライドする重いボール、佐野基幹がスローカーブを有効に使って力投、ともにこれを打ち込めず、延長線にもつれ込むかと思われたが九回裏、一死後伊藤がイレギュラーバウンドにめぐまれたあと、伴野は三塁失に生き、さらに安達の三遊間安打で満塁となった。ここで緊張した時習館のバッテリーにミスが生まれた。佐野基幹が打者横井に対し0ー1後に投じた内角低目を加藤が逸し伊藤の生還となったのである。九回表まで無得点のまま終ったゲームではあったが、津島商工が三回一死二、三塁の好機に川口の中飛で三塁走者加藤が本塁を突き好返球に刺される場面があったのをはじめ、時習館も五、八回に一死で走者を二塁に進めるなど盛り上がりが多かった。両チームの実力には差は認められなかった。
 時習館はキビキビしたプレーをみせ、プレーマナーもよかったのだが、敗戦はまったく不運だった。

 愛知代表は、享栄商業が好投手牧を擁した豊橋工業を5−2で敗って出場。
 全国大会は法政二高が優勝



       第43回選手権大会(昭和36年・1961年)の愛知県大会

七月二十一日から熱田、豊橋、一宮、刈谷、半田、中日の七球場で開催された。
 時習館は、初戦で名古屋西に敗れた。

 一回戦 不戦勝

 二回戦 七月二十一日 一宮球場

  名古屋西000100302−6      三塁打 江本
  時習館  000000000−0      二塁打 彦坂 梅村

 【メンバー】 4安藤勇機 7水野文男 8吉田満 2佐野基幹 9191彦坂 3伊藤 6鳥山紘之 5牧信男 1919浅井万波

    時習館、先制機逃がす
(朝日)時習館の浅井万波、名西梅村ともにサウスポー。浅井は球速不足を変化球で補うピッチングだったが、梅村は好調で内角一パイをつく速球にかなりの威力があった。名西打線は三回までタイミングが合わず苦しんだが、四回一死後江本死球で歩き、井上三振のとき二盗に成功、梅村の左飛は平凡な当たりだったが、風に流されて時習館左翼手を誤らせる幸運打となり一点を拾った。
 そして七回には無死連短打で浅井を攻略、一死後江本が前進守備の右翼頭上をライナーで抜く三塁打を放ってを不動のものとした。
 時習館は二回一死二塁打で先制機をつかんだが、後続の不振で逃し、以後は名西梅村の速球に圧倒されて反撃の手掛かりさえもなかった。

 愛知大会は中京商業が6−4で享栄商業を敗り優勝。しばらくは中京商業の全盛時代が続く。
 全国大会は浪華商業が優勝。



       第44回選手権大会(昭和37年・1962年)の愛知県大会

 七月二十一日から熱田、豊橋、一宮、刈谷、半田、中日の六球場で開催された。
 時習館は、四回戦まで進んだが、瀬戸に安打数を上回りながら零敗した。

 一回戦 不戦勝

 二回戦 七月二十一日 一宮球場

  昭  和000010000−1
  時習館20010100X−4

    時習館の猛打が爆発
(朝日)昭和の坂上は横手からのシュートとカーブを投げ、時習館の打線をかわそうとしたが、球速がちょっと鈍かったので耐えきれなかった。
 時習館は初回四球と安打で二死二、三塁の好機に白井捷之が左翼線に快打して先制、四、六回にも好打を連発して加点した。
 昭和は時習館の左腕浅井万波の速球にバットが合わず、四回まで無安打で苦しんだ。それでも五回和田の短打で一点報い、六回には二シながら三塁打、七回には無死一、二塁と詰め寄ったが、どうしても得点に結びつけることができなかった。

 三回戦 七月二十四日 一宮球場

  稲  沢000000030−3
  時習館20000020X−4

  時習館、危うく勝つ 8回不運な稲沢の反撃
(朝日)稲沢の飯田投手は立上り制球に苦しみ、一死後鋤柄良太郎に死球、浅井万波に四球を許してピンチを招き、そのあと球を整えようとしたところを苞山春吉にねらわれ、左中間に痛打を浴びて取りかえしのつかぬ二点を失った。
 時習館は、その後立直った飯田投手の変化球を打ちあぐみ、なかなか追加点があげられなかったが、七回下位打者が長打を連発してようやく勝負をきめた。
 稲沢の打陣は序盤の失点で焦りの気配がみえ、その結果浅井のベースに巻込まれ、六回まで一安打で得点圏にさえ走者を送れなかった。しかし八回川口の三ゴロ失をきっかけに四球と短打で一死満塁とし、飯田、山田淳がたたみかけるように打って出て三点をあげ、なお二、三塁と攻め込んだが、三輪のスクイズバントが不運にも投飛となり、一瞬にしてチャンスをつぶしてしまった。

 四回戦 七月二十五日 刈谷球場

  時習館000000000−0
  瀬  戸00020000X−2

 【メンバー】 6小長井政利 7鋤柄良太郎 1浅井万波 2苞山春吉 5白井捷之 9彦坂宜定 7高田智弘 3加藤仁志 4井口和雄 PH林 4伊藤

   時習館、不運に泣く
(朝日)瀬戸は四回に幸運な得点を拾った。簡単に二死をとられたあと森戸が投手を強襲、中野とのエンド・ランを決めて一、三塁とし、中野二盗後矢野の中堅フライはなんでもない当りだったが、野手がグローブに当ててうしろへそらしたので走者は二人とも生還した。
 時習館は一、二回の先制機をいずれも併殺でつぶされたのが痛く、瀬戸を上回る安打を放ったのに、これが散発で得点に結びつかず、あと一押しが足りず、惜敗した。 瀬戸は四回を除いてろくにチャンスらしいものがなかっただけに、まことに幸運な勝ちだった。

 愛知代表は、中京商業が2−0で豊田西を敗り、連続出場。
 全国大会は作新学院が、春の選抜に続いて優勝。



       第45回選手権大会(昭和38年・1963年)の愛知県大会

 七月二十一日から熱田、豊橋、一宮、刈谷、半田の五球場で開催された。
 時習館は三回戦で大府と対戦、一点に泣いた。

 一回戦 不戦勝

 二回戦 七月二十二日 豊橋球場

  新  城000000000−0
  時習館00000200X−2

    新城六回に自滅
(朝日)新城の夏目投手は重い速球で時習館を五回まで一安打におさえていたが、六回四球禍で自滅した。この回時習館は一死後、井口和雄、浅井万波が選び、高田智宏が右前に流し打ちして井口がかえり、さらに浅井、高田が重盗、鋤柄良太郎四球で満塁、熊部光宏も中前に快打して三塁から浅井を迎えた。
 新城は一、二回の二塁打だけであとはいい当りの打球が野手の正面をつく不運もあって、浅井万波投手におさえられた。

 三回戦 七月二十四日 豊橋球場

  時習館000000000−0
  大  府10000000X−1      二塁打 榊原、浅井

 【メンバー】 6小長井政利 4井口和雄 1浅井万波 9高田智弘 2鋤柄良太郎 8熊部光宏 5梅村民雄 3仲田博 7外山宏

    大府、時習館を完封
(朝日)大府は立上りに、時習館浅井万波投手の球が高めに浮くところをとらえ、貴重な一点をあげ牧野の好投で逃げ切った。一回大府は一死後榊原が左翼頭上を抜く二塁打のあと、宮崎は浅井の外角球にさからわず、一、二塁間を破って、榊原を迎え入れた。その後はたんたんと投手戦が続いた。七回表、時習館は浅井が無死で二塁内野安打にで、盗塁と捕逸で三進したが、後続がなく、唯一の得点機を逸した。浅井が二回以後立直り、軟投で大府打線を押えていただけに惜しかった。大府牧野は落着いたプレートさばきで、重い球を外角に決め、時習館を完封した。両軍とも無失策の好守備は特筆してよい。

 愛知大会は。中京商業が3−1で一宮商業を敗り、三年連続出場。
 全国大会は明星高校が優勝。今年度参加校2107校となった。



                           時習館高校の火災
 野球部室も全焼

 昭和三十九年三月三日夜十一時、時習館高校旧本館体育教官室付近から出火、木造二階建の本館一棟(千百五十平方メートル)などを全焼した。
 旧本館は、普通教室十三、書道教室、体育教官室各一、他にクラブ室があったが、野球部室も焼失し、野球用具と共に戦後のスコアーブック等記録類も全焼してしまった。
 授業は、特別教室の転用で一時切り抜けることとなったが、体育部関係は、体育道具の大部分を焼失してしまったので、当分の間部活ができないと心配されたが、早速に各方面から見舞と救援が続き、すぐに復興した。野球部にも、直接各高校野球部や先輩等からの多大の寄附が寄せられた。



       第46回選手権大会(昭和39年・1964年)の愛知県大会

 七月二十一日から熱田、豊橋、一宮、刈谷、半田の五球場で開催された。
 時習館は時習館は犬山、小牧に完勝したが、四回戦で愛知高に延長の末惜敗した。

 一回戦 不戦勝

 二回戦 七月二十二日 一宮球場

  犬  山003000000−3
  時習館50002000X−7

 【メンバー】 6小長井(篠崎)政利 5梅村民雄  2酒井喜代嗣 8高田智弘 1熊部光宏 7光島稔 3仲田博 9加藤仁孝 4太田智洋

 時習館、短打主義で攻める。
(朝日)時習館が初回にみせた速攻は実にすさまじかった。犬山の加藤は立上り肩きまらず一死後梅村民雄に四球を与えたあとカウントを整えようとして酒井喜代嗣ぐ右中間を破られ、そのあとでワイルド・ピッチ、与えずもがなの一点を献じてすっかりベースを乱してしまった。
 左腕の熊部光宏投手はこの大量点にちよっと気がゆるみ、三回には無造作なピッチングで犬山の反撃をうけたが、すぐ気をとりなおしその後は切れのよいカーブで三振十四を奪う健投で犬山の追撃をおさえた。

 三回戦 七月二十五日 刈谷球場

  小  牧000000000−0
  時習館02002020X−6

 【メンバー】 5梅村民雄 6小長井(篠崎)政利 2酒井喜代嗣 8高田智弘 13熊部光宏 7光島稔 9加藤仁孝 9林伸治 9鈴木祥氏 31仲田博 4太田智洋

 時習館、適時打で完勝
(朝日)時習館は小牧の斉藤投手に効果的な安打を浴びせ完勝した。二回梅村民雄の適時二塁打と、小長井政利のスクイズバントで二点を先取、五回には三安打、七回には二安打を重ね勝利を不動のものにした。
 一方、小牧は打撃が雑で散発三安打を放っただけ。悪球にも手を出し十個の三振を喫した。投、打とも時習館の方がかなりまさっていた。

 四回戦 七月二十六日 刈谷球場

  愛知  0000000002−2
  時習館0000000000−0

 【メンバー】 6小長井(篠崎)政利 2酒井喜代嗣 8高田智弘 1熊部光宏 7光島稔 9加藤仁孝 PH鈴木祥氏 3仲田博 4太田智洋

 時習館が惜敗、延長10回 好投譲らず
(朝日)愛知の金田は球速豊かな直球を主体とし、ときおり効果的なカーブをまじえ、時習館の左腕熊部光宏は外角シュートのコントロールがきわめてよく、たがいにゆずらぬ好投をした。このためチャンスといえば先頭打者が二塁打で出た愛知の四、六回の二回だけだった。わずかに押し気味の愛知がやっと十回になって攻守の時習館に不覚の失策が出た機をのがさず、決勝の二点を奪った。 この回の愛知は一死後渡辺が左翼線に安打し、青山の一ゴロは仲田一塁手が二塁へ送ったが走者に当って愛知は一、二塁のチャンスをつかんだ。ここで本田は外角球を中前にねらい打って一点、さらに金田のスクイズバントで一点計二点をあげ逃げ切った。

 愛知代表は、大府が3ー2で名電工を降し初出場。
 全国大会は高知高校が優勝。



       第47回選手権大会(昭和40年・1965年)の愛知県大会

 七月二十一日から熱田、豊橋、一宮、刈谷半田の五球場で開催された。時習館は、一戦で敗退した。

 一回戦 不戦勝

 二回戦 七月二十五日 豊橋球場

  時習館  000101000−2
  名古屋商00020010X−3

 【メンバー】 2酒井喜代嗣 7光島稔 6太田智洋 1熊部光宏 8加藤仁孝 5鈴木達夫 3林伸治 9尾崎進 4鈴木祥氏

  時習館、名商に惜敗
(朝日)7回名古屋商が勝越し点をあげた。伊藤が中前安打のあと、犠打と加藤正の右翼二塁打で貴重な一点をあげた。時習館も熊部光宏の投打にわたる活躍にもかかわらず、球運に恵まれなかった。

 愛知代表は、東邦が4−0で津島商工を敗り、戦後初の出場となった。
 全国大会は三池工業が優勝した。


       第48回選手権大会(昭和41年・1966年)の愛知県大会

 八十三校が参加し、七月二十一日から前年同様五球場で開催された。
 時習館は一回戦中京商業に、五回コールドゲームで敗れた。

 一回戦 七月二十一日 豊橋球場

  時習館00000 −0
  中京商06121X−10

 【メンバー】 5志賀吉修 6胡麻本正 2高橋静雄 1伊藤行 8中田薫 9森ノ内克明 7大場茂 4内藤 3三浦治幸

    時習館敗れる
(朝日)優勝候補の中京商は二回裏打者一巡の十人を繰出し長短打七本をつるべ打ちをして大量六点をあげ大勢を決めた。この回まず川口が左翼線に二塁打のあと矢沢内野安打で一、三塁戸なり、渡辺も右翼二塁打を放ち二者生還したが、渡辺は三塁をよくばって刺された。だが攻撃はなおも続き満塁のあと西脇の二塁打が出るなど六点をもぎとった。三、四、五回もむらなく打棒がふるい、四点を加えて圧勝した。
 時習館は最後まで粘ったが、中京商の加藤投手の速球にわずか一安打、六つの三振を喫し、二塁も踏めなかった。

 愛知大会は中京商業が4−3で東邦を降し出場した。
 全国大会も春の選抜優勝の中京商業が春夏連続優勝の偉業を遂げた。中京は夏の大会優勝六回となった。


       第49回選手権大会(昭和42年・1967年)の愛知県大会

 七月二十一日から熱田、豊橋、一宮、刈谷、半田の五球場で開催された。
 時習館は一戦目、岡崎に善戦したが及ばなかった。

 一回戦 不戦勝

 二回戦 七月二十二日 刈谷球場

  時習館000030100−4
  岡崎  20014010X−8     三塁打 中田、藤田 二塁打 伊丹、中田、早川、清水

 【メンバー】 7山本伸一 8藤田裕二郎 1中田薫 3三浦治幸 5伊丹庸之 6二村昭美 2伊藤守 9小野田茂 4波多野敏之

(朝日)岡崎の打棒が五回に爆発した。岡崎の一、四回の得点は敵失と四球であげたものだったが、同点とされた五回は中田薫を打込んだ。この回一死一、三塁から清水、山本の連安打で三点、長谷部四球で一、二塁のあと小林が左前に適時打して山本をかえした。
 時習館は3ー0とリードされた五回、三塁打一本を含む四本の長短打で三点を、七回にも一点を返すなど最後までねばった。

 愛知大会は、中京が愛知を6−0で敗り、昨年に続き出場した。
 (中京は今年度から中京商業を「中京」と変え、岐阜の兄弟校瑞浪が「中京商業」と名乗ることになった)
 全国大会は習志野高校が優勝した。



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