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                           昭和30年度(1955年)

春季東三リーグ戦 三月二十九日〜 豊橋球場

                        二次リーグ  豊商    9ー0 時習館
                                 成章    2ー1 時習館
                                 時習館 5Aー1 豊橋東
                                 豊川    6ー1 時習館
                                 時習館 3Aー2 豊橋工

全三河大会 豊橋球場 五月五日

                    一回戦   岡崎北202202007−15  柴田ー葛原
                            時習館200000000−2   坂田ー磯部

招待・遠征試合

                       六月二十五日 時習館   3ー3 浜松工  豊橋球場
                          二十六日 時習館  13ー9 浜松北  〃
                        七月三日   一宮    12ー4 時習館
                           十日   時習館 13Aー7 瑞陵



  ■第37回選手権大会(昭和30年・1955年)の愛知県大会 “ベスト8”

 第37回全国高校野球選手権大会愛知大会は、六十四校が参加して七月二十一日から、鳴海、豊橋、刈谷、一宮の四球場で開催された。

 時習館は愛商、大府らの強豪を破って準々決勝に進んだが、宿敵中京商にまたも敗れてしまった。

一回戦 不戦勝

二回戦 七月二十二日 鳴海球場

  時習館104110001−8
  尾  張001000000−1

(朝日)尾張は強豪時習館に敢然と決戦をいどんだが、実力の差は如何ともしがたく、善戦空しく敗退した。時習館は先発小野田投手もよかったが、五回からリリーフして外角への速球を極めてはやる尾張打線を完封、三振七を奪った戸田の快投はすごかった。
 敗れたものの四併殺を演じた尾張の小気味よいプレー。打数五、四安打(単打二、二塁打二)、八割の強打を放って勝利の立役者となった時習館宇田は光った。

三回戦 七月二十六日 刈谷球場

  愛知商100000000−1
  時習館04001010A−6

(朝日)愛商は二、三、七回に無死四球て走者を送ったが、いずれも時習館の固い守備にはばまれて敗退した。時習館は二回二死後戸田のしぶい右前安打を口火に河合奥村小野田らの長短打で一挙四点を先取して、酒井をKO。三回からリリーフした伊岐見も打って五、七回にそれぞれ一点を加え完全に愛商を圧倒した。

四回戦 七月二十七日 鳴海球場

  時習館300001002−6
  大  府000000000−0

(朝日)時習館は立上り上位打線が四安打を連ね、敵失などもあって三点を先取する有利なスタートをきり、六回奥村の安打、最終回戸田の長打でそれぞれ加点して楽勝した。守備面では先発小野田が高めにボールが流れて四球の走者を出し、毎回得点圏内をおびやかされる不安な投球で四回などは二死満塁と迫られたが、ここで主戦戸田に切替えて大府を無得点に退けた。
 体力的に恵まれない大府村田投手は精一ぱいの健投だったが一回などは好球をそろえすぎたうらみがある。攻守に一日の長がある時習館順当の勝利。

準々決勝戦 七月二十九日 鳴海球場

  時習館000000010−1
  中京商00100002A−3

中京商 . 時習館.
守備 選手名 打数 安打 打点 三振 四球 犠打 盗塁 失策 守備 選手名 打数 安打 打点 三振 四球 犠打 盗塁 失策
8 岩本 2 1 1 1 2 0 0 0 4 奥村則夫 3 1 0 0 1 0 0 0
9 富田 4 1 0 0 0 0 0 0 8 小野田 2 0 0 0 0 1 0 0
7 桃原 4 1 1 1 0 0 0 0 8 竹本郁夫 1 0 0 0 0 0 0 0
3 川崎 4 1 1 1 0 0 1 1 9 坂田 繁 0 0 0 0 0 0 0 0
6 渡辺 3 1 0 2 1 0 2 0 2 磯部雅澄 4 0 0 1 0 0 0 0
2 鈴木 1 0 0 1 2 1 0 0 5 宇田充(主将) 4 0 0 1 0 0 0 0
5 小島 3 0 0 1 0 1 1 0 9・8 鈴木 勝 4 0 0 1 0 0 0 0
1 長坂 1 0 0 0 0 0 0 0 6 中村 4 1 0 0 0 0 0 0
1 安井 3 1 0 1 0 0 0 0 1 戸田 3 1 0 0 0 0 0 0
4 中山 2 0 0 0 1 0 1 0 3 中西武次 3 0 1 0 0 0 0 0
. 7 河合茂則 3 1 0 0 0 0 0 0
31 6 3 8 6 2 5 1 31 4 1 3 1 1 0 0

 時習館 中京に惜敗
(朝日)ともに伝統を持つ両チームの対戦は気力にとみ、しかも予断を許さぬ試合の運びとなって球趣をわかせた。中京商長坂、時習館戸田投手ともスタートは好調、長坂が大きく割れるカーブと直球のコンビネーションよく一回トップ打者奥村を歩かせたほかは落ち着いたプレートさばきで好投すれば、戸田も外角一ぱいをつく快速球と時折まじえるカーブも効果的に相ゆずらぬ力投を示した。しかし両者の投球にも中盤にかけてちょっとしたつまずきがあった。戸田は三回二死を取ってホッとしたのであろう、中京商の好打者岩本に0-1後から内角寄りの好球を与えて右中間を大きく破られ、続く左打者富田にも真中の素直な球を中前にたたかれて一点を失った。
 一方長坂も五回内角球を中付戸田に連続安打されて動揺し、中京商ベンチはここで好調安井をマウンドに送る予定のリレー策でピンチを見事に食止めた。安井は以後も球威こそないが巧みなチェンジ・オブ・ペースでスイッチ・マンの役割を果たし、このまま逃切るかにみえた。
 ところが反撃の気勢鋭い時習館は八回中西が一塁失に生き、河合の安打で三進、奥村の二塁右内野安打で同点に追いつき接戦はさらに白熱化した。しかし中京商はその裏桃原の二塁打をきっかけに川島、渡辺らが巧妙なバント戦法で時習館内野陣をかく乱、再度にわたるスクイズの成功などそつのない試合運びで二点を収めて、時習館の死命を制した。ともかく試合は各回を通じ一投一打に全力を尽す攻防に終始したが、時習館はついに恵まれなかった。破れた時習館もこれまで戦えば悔なき一戦。両チームの健闘を称えよう。

 愛知代表は、中京商業が四対一で東邦商業を降し三年連続して出場。
 第37回選手権に出場した中京商は熊本に 5:0、新宮に 6:0 で勝利、準決勝で四日市に 6:1 で敗退、優勝は坂出商を 4:1 で破った初出場の四日市高校。



秋季東三リーグ戦 八月二十三日〜 豊橋球場ほか

                                時習館  11ー0 田口
                                時習館  12ー0 国府
                                時習館   5ー5 豊川
                                時習館   7ー0 本郷
                                時習館  2Aー1 豊橋東
                       二次リーグ  時習館   9ー1 豊橋東
                                時習館   3ー0 成章
                                時習館   2ー1 豊商
                                時習館   1ー0 豊川
                                豊橋工業 2ー1 時習館

全三河大会  岡崎高校庭

            一回戦   九月二十四日  岡崎北000000000−0  柴田ー山崎
                              時習館00220000A−4  坂田、戸田ー沖田

            準決勝戦 九月二十五日  豊  川120000030−6  谷ー竹内
                              時習館000000000−0  坂田、戸田ー沖田

            優勝戦               豊川 6ー0 豊橋商

招待試合  豊橋球場 十一月二十日

                                静岡商 3ー2 時習館



渥美監督転任

 年がかわって昭和三十一年四月一日付で、渥美先生は県教育委員会に転任することになった。
 昭和二十一年九月、時習館の前身の豊橋中学に赴任し、全三河高校野球大会の第一回大会、昭和二十四年の春優勝。二十七年、二十八年と春の選抜大会に二度も出場を成し遂げられたした。だが夏の大会にはもう一歩で、先生に報いることができなかった。
  夏の大会としては、本年が、先生の最後の采配となった。

 渥美先生の「闘魂」を、教え子の藤田良彦先生(時習1回生)が継いで奮闘、全三河大会や夏の大会に好成績をあげるのであった。



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