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 ●第25回選抜大会出場(昭和28年・1953年)”選抜大会 2年連続出場”

                      
甲子園一勝を上げる

昭和27年秋も大活躍、選抜に有力候補

 八人ものメンバーを送り出したが、新チームは秋季東三リーグ優勝し、全三河では一回戦で岡崎工に敗れてしまったが、県下大会では決勝リーグに進出、東邦、成章に勝ったが、中京商に敗れた。

 中部地区大会に臨んだ時習館は、清水東、不敗を誇った中京商を破ったが、優勝戦で浜松北に負けた。

 この活躍が、愛知県高校野球速盟理事会で、中京商と時習館は全く伯仲、順位がつけられず、両校を第一位として推す、異色推薦となった。

昭和27年(1952年)秋季県高校野球選手権大会 . 昭和27年秋(1957年)中部四県大会
一回戦 時習館 4:3 岡崎北 一回戦 時習館 4:2 清水東
二回戦 時習館 3:1 一宮商 中京商 3:0 四日市
決勝リーグ 中京商 2:0 時習館 浜松北 3:2 多治見
時習館 13:6 東邦商 岐阜 1:0 宇治山田商工
時習館 8:3 成章 二回戦 時習館 4:3 中京商
. 浜松北 2:1 岐阜
優勝戦 浜松北 5:1 時習館

二年連続、選抜出場

 昭和二十八年二月十六日、毎日新聞大阪本社で選考委員会が開かれ、中部代表として豊橋時習は昨年に引続き選抜校に決定された。ほかに中部からは、浜松北、中京商、金沢桜丘が選ばれた。
 春の選抜は、基本的には十六校とされていたが、レベル向上が著しく、十九校が選ばれ、四月一日から六日間甲子園球場で開催されることになった。

後援会、応援団の結成

 二年連続出場に喜ぶ関係者は、”今度こそ勝て”と、早速河合孜郎後援会長、大林正志時習会会長らが中心となって昨年より増しての後援会づくりに動いた。
 甲子園に操り出す応援団は、校内の興奮と共に発足、野球部応援団を結成し、応援団長に筒井健宏を選んだ。従来の学校応援団(リーダー林郁子)も積極的に協力することになった。

再び選抜大会へ

 野球部員は、放課後校内グラウンドや豊橋球場で、昨年甲子園で活躍した選手やOBが参加して練習試合、また打撃やシートノックに全力を注ぎ、大会に臨んだ。
 三月二十日、学校での壮行会、二十三日豊橋総合グラウンド内クラブハウスで、毎日新聞中部支社主催の豊橋市長ら地元関係者の壮行会、そして二十六日豊橋駅前で市と同体育協会主催の壮行会に臨んだのち、関係者はじめ、生徒、市民大勢の見送りのなか、甲子園に向かった。

             
                    服部・佐原・菅沼・中西・西崎・山本・大羽・大山・徳増・藤田良彦先生
                          白井・渥美監督・竹内・原田・小柳津・岡田

              (斉藤信夫提供)
                              左:大山、前列左より:白井・徳増

第25回選抜大会出場メンバー
メンバ− 守備位置 卒業年次
大山敏晴● 投手 時6 1954(昭和29年)
菅沼光春 捕手 時7 1955(昭和30年)
中西克哉 一塁 時7 1955(昭和30年)
白井 勉● 二塁 時6 1954(昭和29年)
岡田 互●(主将) 三塁 時6 1954(昭和29年)
徳増浅雄● 遊撃 時6 1954(昭和29年)
竹内和男● 左翼 時6 1954(昭和29年)
西崎若三 中堅 時7 1955(昭和30年)
佐原博巳 右翼 時7 1955(昭和30年)
服部吉也● 補欠 時6 1954(昭和29年)
原田豊次 補欠 時7 1955(昭和30年)
芳賀一郎 補欠 時7 1955(昭和30年)
小柳津正 補欠 時7 1955(昭和30年)
山本和伸 補欠 時7 1955(昭和30年)
大羽義人 補欠 時7 1955(昭和30年)
(●は24・25回両大会出場)

                         昭和28年(1953年)の第25回選抜大会
                  

                    
                                開会式での選手宣誓

初戦は「市岡(大阪)」に「3:1」で快勝、甲子園一勝をあげる。

                       
                                 対市岡高校戦

回数 時習館 市岡 . 時習館 市岡(大阪)
1 0 0 守備 選手名 打数 得点 安打 打点 三振 四球 犠打 盗塁 失策 守備 選手名 打数 得点 安打 打点 三振 四球 犠打 盗塁 失策
2 0 0 7 竹内和男 3 0 0 0 0 0 1 0 0 9 西下 4 0 1 0 2 0 0 0 0
3 0 0 4 白井 勉 4 0 1 1 0 0 0 0 0 4 平山 3 0 2 1 0 1 0 0 1
4 2 0 5 岡田互(主将) 3 1 0 0 0 1 0 0 0 3 明石 4 0 0 0 1 0 0 1 0
5 0 0 6 徳増浅雄 3 0 0 0 0 0 1 2 1 5 稲本 4 0 0 0 1 0 0 0 0
6 0 0 8 西崎若三 4 1 1 0 0 0 0 0 0 8 賀本 4 0 0 0 1 0 0 0 0
7 1 0 1 大山敏晴 2 0 1 1 0 1 1 0 0 6 原田 3 0 0 0 2 1 0 0 1
8 0 1 3 中西克哉 4 0 1 0 0 0 0 0 0 1 中尾 4 0 0 0 2 0 0 0 1
9 A 0 2 菅沼光春 4 0 0 0 0 0 0 0 0 2 藤枝 3 0 1 0 1 0 0 0 0
3 0 9 佐原博巳 1 1 0 1 0 3 0 0 0 7 合田 2 1 0 0 1 1 0 0 0
. 28 3 4 3 0 5 3 2 1 31 1 4 1 11 3 0 1 3
三塁打:大山(時習館)、二塁打:平山(市岡)

時習館、市岡に勝つ。伯仲の好試合へ声援沸く

 選抜第二日は薄曇りのうちに明けた。大会旗が北東の風に吹き流され、時折り春の薄日が差し込んで来る。
 この日地元大阪代表市岡高校と対戦する豊橋時習館高校の応援団八百名は、同日朝六時半ごろ甲子園に到着、夜行列車でもみ抜かれた疲労の色も見せず、三塁側内野席に陣取り、海老茶に「時習」と白く染め抜いた旗二本と団扇を振って選手を激励、一方市岡高応援団も「必勝市岡」の大のぼりを掲げて豊橋応援団に対抗、すでに試合前から応援合戦の幕があいた。
 第三試合市岡対時習館は午後○時五十三分、子定よりやや遅れて市岡先攻で開始された。怒涛のような地元の大声援の嵐に送られ、猛然と襲いかかる市岡に、時習館はよく団結、落ち着いたプレーで好機を巧くものにし、Aクラスの呼び声高かった市岡を破って、郷土のため万丈の気を吐いた。

大山敏晴、攻守に殊勲

(毎日新聞)伝統に築かれた双方の校風、試合運びの手ごわさはいずれも地味につきるものがあった。四回の時習館がそうであり、三番岡田互が四球を選び漸く市岡の球速が落ち、制球力に緩みをみせていた場合であったから徳増浅雄に強打させても成功していたろう。しかし徳増浅雄にバントさせて走者の進塁を行ったが、一本勝負であればこの策が常道であろう。かくて時習館の企図は達成された如く中尾は急にボールが多くなり、加うるに痛い二ゴロ失をはじめとして後続に一安打、一個の四球のほかスクイズを敢行されて時習館二点のリードとなった。
 市岡とすれば第一投手の中西を温存しいつでもリレー策をとり得たであろうが、中尾の投球は低めに決まらなかったできばえから推察して中尾にたよりすぎた嫌いがあった。調子づいた時習館は市岡を圧迫しつつ七回菅沼光春は無死で四球に出塁する二度日の機会をのがさずバントと竹内和男の適時安打が功を奏し勝利を固めた。
 一方市岡の攻撃は左利き大山敏晴の大きく落下するインドロに眩惑されて打つべき直球を見逃すなど大山の薬籠中のものとされるまずさであった。市岡は四回無死の走者を出した以外は好機らしいものがなく、三振十一個を喫する不振がつづき八回二死後に一点を回復、さらに走者の判断がよければその差を一点に縮め時習館を苦しめたであろう。時習館のそれに比べれば投手力に遜色があり、これが勝敗の分岐点となった。(井口新次郎)

力量差はない、久保田主審談

 市岡高が始めから少し堅くなりすぎていた。それと不運にも打球が野手の正面をついたのが市岡にとっては非常に痛かった。これに対し時習館はチャンスに安打が続いたというその差です。時習館大山は四回より軟投に変え、市岡の打棒をかわしていました。両校とも力量の上では大差はないと思う。

ラッキーだった(豊橋渥美監督談)

 市岡はもっと打てると思ったが、案外だった。始めから積極的に出た戦法が図に当ったといえるが、チャンスを掴んだとき幸いに安打が出て得点したということ、ただただ幸運であったというより他はありません。もし主戦投手の中西くんが投げておれば危かったのじゃないでしょうか。

                 
                    市岡高校を破った時の感激、ウチワを振って大声援の応援団

                    
                            市岡高校に勝って、応援団に挨拶

二回戦は「洲本(兵庫)」に「1:0」で惜敗

             
                             宿舎での作戦打合せ

回数 洲本 時習館 . 洲本(兵庫) 時習館
1 0 0 守備 選手名 打数 得点 安打 打点 三振 四球 犠打 盗塁 失策 守備 選手名 打数 得点 安打 打点 三振 四球 犠打 盗塁 失策
2 0 0 7  久下本 3 0 0 0 0 0 1 0 0 7  竹内和男 4 0 0 0 2 0 0 0 0
3 0 0 3  沖 田 4 0 0 0 0 0 0 0 0 5  岡田互(主将) 4 0 1 0 1 0 0 0 0
4 0 0 5  阿 部 2 0 0 1 1 0 1 0 0 8  西崎若三 4 0 1 0 0 0 0 0 0
5 0 0 2  加 藤 2 0 0 0 0 1 0 0 0 6  徳増浅雄 3 0 0 0 1 0 1 1 0
6 1 0 8  長 尾 2 0 0 0 1 0 1 0 0 1  大山敏晴 3 0 0 0 1 1 0 0 1
7 0 0 6  志 貴 3 0 0 0 0 0 0 0 2 3  中西克哉 4 0 0 0 1 0 0 0 0
8 0 0 1  北 口 3 0 0 0 0 0 0 0 0 9  佐原博巳 3 0 1 0 1 0 0 0 0
9 A 0 9  成 瀬 3 0 0 0 1 0 0 0 0 2  菅沼光春 3 0 0 0 0 0 0 0 0
1 0 4  木戸内 3 1 1 0 1 0 0 0 1 4  白井 勉 3 0 0 0 1 0 0 0 1
. . 4  服部吉也 0 0 0 0 0 0 0 0 0
25 1 1 1 4 1 3 0 3 31 0 3 0 8 1 1 0 2
洲本(兵庫)は、第1戦 中京商を 2:0、第2戦 時習館を 1:0、準決勝小倉(福岡)を 5:1、決勝戦 浪華商(大阪)を 4:0 で破り優勝
                            投手の大山敏晴は優秀選手賞を受賞

 二回戦は中京商を二対○で破った洲本高と対戦した。
 地元の強みで約二千人の洲本高応援団は三塁側アルプススタンドを埋め、リーダーが扇子と応援旗を巧みに使い分け、太鼓と笛で音頭をとれば三塁側アルプスはどっと小旗の波が踊り、一方一塁側アルプスに陣取った豊橋時習館応援団は約二百人、「応援が少ないので何とぞスタンドの皆さん声援をお願いします」と、声をからして呼びかける筒井応援団長の、両手に団扇、口に笛の奮闘は、並み居る人々の共感を誘った。

 息づまる投手戦は、洲本がたった一本の安打をものにして先取点を守り抜き、粘り強く食い下がる時習館を振り切った。
 両軍終始キビキビしたプレーとファイトには、満場称賛の拍手がおくられた。

洲本スクイズ策成功

(毎日新聞)時習館の大山敏晴の速球は、大してなさそうに見えるが球にのびがあり、左腕から操り出す大きなアウドロと、左投手が右打者に対して急所である低い近目を攻めどころとすれば、北口は特異の味をもつ大きなシユートボールと球速が極端に落ちる曲球で、両者相譲らず心にくいほど妙味あるピッチングで試合は完全な投手戦となった。
 二回時習館は一死後大山が四球で出、二死後佐原博巳が敵失に続き、その裏洲本加藤が四球を利して長尾におくられたが、ともに波乱をまき起こすまでには至らなかった。
 三回二死後時習館岡田互が両軍で最初の安打を放ち、五回裏二死後走者木戸内が二塁をあやまらせて出塁したほかは両軍凡退、北口は五本の三振、大山は二本の中飛を打たせたほかは、内野の凡打で打ちとって前半を終わった。しかしこの間洲本の阿部三塁手がきびきびした動きで好守していたのが人目をひいた。
 試合の均衡はついに六回にしてやぶれ、しかも貴重な決勝点を洲本があげた。木戸内が第一球をセーフティ・バントして生きた。これが洲本には最初の安打であり、最後の安打でもあったのは大きな殊勲といわねばならぬ。
 型通り久下本に送られたが大山が走者を二塁に封殺せんとして高投し両者を生かし、沖田の大きな右飛を時習館佐原が後走して倒れながら好捕したが、その間に木戸内三進し、阿部のスクイズが見事に成功して勝利となった。一点を争っている試合では、当然こうした危機にはスクイズを警戒すべきではなかったろうか。この一事が時習館のため惜しまれてならない。
 しかし時習館は九回反発の気に燃え、第一打者西崎若三がうまく軽打して左前に安打し、徳増浅雄に送られ、大山の一ゴロで三進、ばん回の一打を持った中西克哉は0−1の後中堅左深くに強打、浜側からの風に乗って伸びたが、長尾後横に力走して好捕し、時習館は万事休した。
 洲本は一回の好機をつかんだもので、好運に恵まれた試合であった。(棚橋)

渥美政雄監督談

 一番心配した大山敏晴が一戦ごとに自信を持ってくれたが上位打線の打てなかったことが敗因だ。

岡田互主将談

 気持の上では第一戦より楽であったが、僕と白井勉君がスランプに陥ったためこれが他の選手に不安を与えたのが悪かったと思う。

                   
                                 選手歓迎会

本大会は初出場の洲本高校が優勝

 洲本は、優勝候補にも挙げられなかったが、名門中京商を破り、時習館、小倉と勝ち、優勝戦では浪華商を四対○と破った。
 毎日新聞の評では、洲本のすべてが順風満帆だったわけでない。準々決勝の時習館戦で、苦しみ抜いたすえあげた一点こそ、実に貴重だった。六回に得た一点だが、口火となったのはこの試合で洲本のただ一本の安打を放った九番打者、木戸内である。あとにも、先にもこの一本以外に安打した者はいない。バントで木戸巾を進めたとき、相手投手が二封を狙って悪投し一、二塁、外野飛球で三進した木戸内はスクイズで生還、まったく効卒のよい攻めであった。勝負とはわからないものだ。木戸内の安打とは、何とかして出塁しょうと苦肉のセーフティ・バントが成功したのだった。このバントこそ、洲本を優勝に導いたといっても過言ではない。


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