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                           昭和24年度(1949年)

中日旗争奪全三河高校野球大会始まる

 戦後の混迷のなか、県下でいち早く野球大会を開催したのが東三河リーグ戦であった。これを機縁として戦前の全三河中等学校リーグの復活が唱えられ、渥美時習館高校監督、筒山岡崎高校監督、長谷川岡崎工高監督、牧野喜八郎高野連審判委員らが、中日新聞ともたびたび協議、その他関係者と図った結果、東西両三河リーグ戦の代表校トーナメント方式で、春は東三河、秋は西三河で開催されることが決まった。

春季東三河リーグ戦

東三大会を豊橋実業、豊橋東、豊川に快勝し、全勝。

 なお、4月29日の対豊川戦で「芳村亮雄」がオーバーフェンスのホームランを放ち、豊橋球場オープン以来高校野球試合では、第一号のホームランとなった。

                  昭和24年5月 全三河高校野球大会優勝
        
     後列左より:渥美政雄監督・林弘・早川正倫・田嶋義雄・?・水藤勝・今井明・斉藤信夫・芳村亮雄・大嶽保
        前列左より:古市マネージャー・?・荒島昭吾・小口・?・青木伸次・松永整二・?・住吉

          (斉藤信夫提供
               後列左より:鶴見崇・鈴木・水藤勝・斉藤信夫・今泉哲雄・林弘
                前列左より:荒島昭吾・大嶽保・田嶋義雄・早川正倫

春季東三リーグ戦 . 全三河高校野球大会 対刈谷戦メンバー , 県下大会
時習館 6:2 豊橋実業 . 1 2 3 4 5 6 7 8 9 8 荒島昭吾 瑞陵高 1:0 時習館
時習館 2:1 豊橋東 一回戦 時習館 0 0 0 5 2 4 0 0 0 11 4 鶴見 崇 .
時習館 8:3 豊川 岡崎 0 0 0 0 2 0 0 8 0 10 5 芳村亮雄
東三大会を全勝 一回戦 豊川 0 0 0 0 1 0 0 4 0 5 7 大嶽 保(主将)
刈谷 0 0 2 2 0 1 0 0 1A 6 2 今井 明
優勝戦 刈谷 0 0 0 0 0 0 0 0 5 5 3 田嶋義雄
時習館 2 5 0 3 0 0 1 2 A 13 9 早川正倫
全三河高校野球大会 優勝 9 林 弘
1 水藤 勝
6 松永整二

全三河高校野球大会 五月八日 豊橋球場

 東三大会を全勝で、この大会に参加した時習館は、一回戦は岡崎を激戦のうえ下し、優勝戦では刈谷を大差で破り、第一回大会の栄冠を勝ち取った。

(中日新聞)本社後援第一回全三河高校野球大会は、東西両地区リーグ戦の結果四代表が出場し、豊橋球場で挙行。
 第一試合時習館対岡崎高は時習館十一点の多量得点を岡崎高八回差一点に追いつめたが遂に惜敗、第二試合は刈谷高が豊川高を六A対五で破り、優勝戦は時習館が十三点をあげたのに対し、刈谷高は八回まで得点無く最終回に反撃五点を収めたが既に遅く時習館が終戦以来はじめての優勝の宿願を達した。

 かくて松田本社支局長より紫紺の大優勝旗並びに本社賞が時習館大嶽保、青木伸次両選手、同個人賞が刈谷高角谷、豊橋市長賞が時習館水藤勝、芳村亮雄各選手に贈られた。



遠征及び招待試合

 六月五日 飯田市
  時習館   2ー2  飯田農高
  飯田高松 3ー1  時習館

 六月十二日 豊橋球場
  津島商工 7Aー2 時習館

 六月二十六日 豊橋球場
  時習館 4ー4 興誠

 七月二日 豊橋球場
 浜松北 4Aー0 時習館

 七月三日 鳴海球場
  時習館 2ー0 中京商

 七月九日・十日 豊橋球場
  享栄商 2ー1 時習館
  岐阜高 8ー3 時習館



  ■第31回選手権大会(昭和24年・1949年)の愛知県大会 “ベスト8”

 戦前の予想では、参加五十八校、ことしは特に好投手揃いで、徳永(瑞陵)、青木伸次、水藤勝(時習館)、本田(犬山)、金田正一(享栄)、佐脇(津島)、臼井(中京)、渡辺(岡崎)、田中(豊川)らが期待された。総合的には組合せで、Aブロックでは、瑞陵、津島、豊川、享栄、岡崎、愛知工業、Bブロックでは、時習館、旭丘、中京、半田で、決勝は瑞陵と時習館ではないかと予想されていたが、準々決勝で思わぬ伏兵犬山に敗れてしまった。

一回戦 七月二十一日

  碧  南000100000−1
  時習館10000010A−2
   (碧)小塚ー山本
   (豊)青木伸次ー田嶋義雄

敗れて悔なき碧南 時習館やっと勝つ
(朝日)捨身の碧南は強豪時習館に食い下がり大接戦となった。一回時習館二死走者三塁のとき大嶽適打1点先取。碧南は四回中野安打の後盗塁、投手の暴投、樅山の内野安打で同点となり互いに譲らず、七回時習館今井三塁強襲安打、田島のバントに送られ、早川の中前安打で三進、青木とのスクイズに成功して決勝の1点をあげた。楽勝と思われた時習館も碧南の力闘に四回以後むしろ押され気味で、時習館にはよい薬となった一戦だ。

二回戦 七月二十四日

  時習館34310−11
  西  尾00000−0
   (時)水藤勝ー田嶋義雄
   (西)黒柳ー水野

時習館依然揺がず
(朝日)西尾は水藤投手の浮気味の速球に抑えられてわずかに一安打、二四球を奪ったに過ぎなかった。時習館は西尾黒柳投手の緩球によく合せ、好機に好打して毎回得点を重ね試合を一方的に進めた。時習館はいかにも練習量の豊富を思わせるムラのないチームであるが、これに対し西尾の敗因は二塁をふむ者なしといった打力の貧困にあった。

三回戦 七月二十六日

  時習館200002000−4
  刈  谷000200000−2
   (時)水藤勝、青木伸次ー田嶋義雄
   (刈)森、加藤ー角谷

(朝日)時習館は立上がり大嶽が左翼線へ痛烈な三塁打を放ち2点を先取、四回先発水藤がくずれれると見るやいち早く青木をリリーフに出し被害を最小にくい止め、六回には刈谷内野陣をかきまわして決勝の2点を挙げ、バックの攻守と相まってそのまま押切った。刈谷は四回無死満塁絶好のチャンスを迎えながら、サインの不徹底から走者が三本間に刺され、最終回一死二塁に迫ったが及ばなかった。

準々決勝戦 七月二十七日

(朝日)ここに準々決勝に残ったベスト8享栄商、県岡崎、津島、瑞陵、小牧、愛知、犬山、時習館、母校の名誉と伝統とをかけての善闘に、準決勝戦へさらに決勝戦へ、そして甲子園原頭でわれらの大会歌〃栄冠君に輝く〃をはれやかに聞く栄誉を担うチームはいずれか、その余談は許されない、この日は絶好の組合せだけに、津島の六百名をはじめ各校とも応援団がかけつけ、多数のファンを交えてスタンドは一球一打に騒然、大会気分は最高潮に達した。

  犬  山00000210004−7
  時習館00000001201−4

犬山、時習館を破る
初陣の犬山は強豪時習館に捨身の決戦をいどみバットを短かく終始打気で時習館を圧倒、延長十一回の末見事に金的を射止めた。時習館は無死一、三塁のピンチに左翼手の本塁返球を捕手緩慢な動作で逸し、与えずもがなの二点を与え、七回には一死後青木が崩れ四球二個で水藤の救援となったがすでにおそく、この回にも一点を加えられ、攻めては本多の内角低目をつく速球に全く手が出ず八回までに安打二、三振六の貧攻であったが最終回荒島の右越二塁打で同点、十回には一、三塁のボーンヘッドで逸機する不運であった。犬山は十一回疲労した水藤投手をよく責め、単打三四球三で決定的な四点をあげ勝った。

時習館 犬山
守備 選手名 打数 安打 失策 守備 選手名 打数 安打 失策
8 荒島昭吾 6 1 0 4 鵜飼 5 0 1
4 早川正倫 4 0 0 9 紀藤 5 1 0
5 芳村亮雄 5 0 0 6 石田 4 1 0
7 大嶽保(主将) 4 1 1 1 本多 6 3 0
3 今井 明 4 0 0 5 大木 6 0 1
2 田嶋義雄 5 0 0 7 鈴村 4 1 0
1・9 青木伸次 2 0 0 3 稲垣 3 1 0
9 林 弘 1 1 0 8 酒井 2 0 0
6 松永整二 4 2 0 2 玉木 5 2 0
9 斉藤信夫 2 0 1 .
1 水藤 勝 0 0 0
37 5 2 40 9 2
犠打 1、盗塁 1、四球 9、三振 8 犠打0、盗塁 2、四球 10、三振10
二塁打 大嶽・荒島・林(時習館)、紀藤・玉木(犬山)


 愛知県代表は、瑞陵高校が犬山高校を十二対二で破り出場した。
 第31回選手権に出場した瑞陵は、第1戦 芦屋(兵庫)に 9:0 で敗退。
 優勝は岐阜を 5:3 で破った湘南(神奈川)。全国参加校一三六五校



秋季東三リーグ戦 八月二十二日〜豊橋球場ほか

 リーグ戦参加校が増えたため、AB二ブロックに分け一次リーグ戦を行い、各上位チームで二次リーグ戦を行うことになった。

  時習館 10Aー0 国府
  豊川工   1ー0 時習館
  新城     3ー1 時習館
  時習館  13ー2 田口
  時習館    3ー1 豊橋工
  時習館   7ー1 蒲郡
 二次リーグ
  豊橋東  8Aー6 時習館
  時習館   3ー0 豊川
  時習館   9ー1 成章

 七人もの選手を送り出した新チームは、東三リーグで活躍できず、全三河大会に出場できなかった。

県下大会 十月三十日 鳴海球場

  旭丘    13ー2 時習館

豊橋市民祭 十一月三日 豊橋球場
  時習館  11ー6 豊橋工

招待・遠征試合
 十一月二十日   時習館 15ー1 愛知大学(本校)
 十一月二十七日  時習館  8ー1 岡崎  (本校)
 十二月四日     時習館  4ー2 滝実 (一宮高)
   〃         一宮高  8ー0 時習館  〃



渥美政雄先生の教え子 ”巨人の別所毅彦、青田昇氏”が来校

 渥美政雄先生は、戦前 東邦商業で2回、滝川中学で3回、一宮中学で2回と計7回も甲子園に駒を進められた。
 先生が滝川中学時代(兵庫)に育てられた選手に別所毅彦、青田昇氏がある。
 昭和24(1949年)年9月29日、この両選手が来校し、講堂(講堂といっても兵舎あとの窓ガラスもない粗末な・・)で講演会を行った
 当時両選手とも「巨人」に在籍し、別所投手は文字通りの大エース、青田選手は押しも押されぬセンターを守る 3番バッターだった。ちなみに4番は一塁川上哲治選手だった。




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