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第16〜21回 夏の予選の成績
第16回(昭和5年・1930年) . 第17回(昭和6年・1931年) . 第18回(昭和7年・1932年)
1回戦 豊橋中 12:3 熱田中 1回戦 豊橋中 10:0 尾張中 1回戦 豊橋中 24:0 西尾中
2回戦 豊橋中 8:0 西尾蚕糸 2回戦 岡崎中 5:4 豊橋中 2回戦 享栄商 8:2 豊橋中
3回戦 愛知商 13:0 豊橋中 . .
第19回(昭和8年・1933年) 第20回(昭和9年・1934年) 第21回(昭和10年・1935年)
1回戦 豊橋中 10:4 岡崎師範 1回戦 豊橋中 10:0 半田商 2回戦 豊橋中 12:2 熱田中
2回戦 中京商 1:0 豊橋中 2回戦 津島中 3:0 豊橋中 3回戦 豊橋中 14:1 愛知工
豊橋中学校 校歌制定 . 準決勝 愛知商 3:0 豊橋中
東海大会 愛知商 5:1 豊橋中

                   
                            昭和5年 野球部員

               
              昭和6年 打撃練習風景          昭和6年 豊中クラブ下山一麿(左)と牧野茂三郎のバッテリー

                       
                                昭和8年 野球部員



                           昭和5年度(1930年)

 第16回選手権大会(昭和5年・1930年)愛知予選

 七月二十四日から八月四日まで、鳴海球場で開かれた。
 豊中は一回戦、二回戦とコールド勝ちしたが、三回戦で愛知商業に十三A対〇と大敗してしまった。

 一回戦 七月二十五日

  豊  中0000507−12
  熱田中0012000−3

 二回戦 七月二十八日

  豊 中  3000212−8
  西尾蚕糸0000000−0

(校友会誌)
 一回 豊中松井死後佐藤夏目死球に出で小林の左越の三塁打に佐藤夏目続いて生還、浦田の安打は小林を迎へる、戸苅遊匍、石田の三振に波瀾多き一回を終る。西尾深沢四球を選び高知遊飛、平野三匍失に生き金子又もや三匍失に一死満塁。然るに浦田の好投はよく八木左飛、川瀬遊飛の凡打に終らせ西尾無為。
 二回 両軍三者凡退
 三回 同じく両軍無為
 四回 豊中戸苅遊匍石田左翼前テキサスリガーに左翼の後逸する間に二進、竹内遊匍に二死石田三盗なり岡田死球に出で二盗す。松井の遊匍に無為。西尾金子三匍八木遊匍川瀬右飛。
 五回 豊中佐藤匍一塁失に意気二盗成り、夏目四球に出で捕手球を後逸する間佐藤一躍生還夏目二盗、小林捕邪飛浦山遊匍失に生き二盗、夏目三進戸苅三匍に夏目生還、浦山三振石田四球にでで二盗竹内三飛。西尾無為。
 六回 豊中岡田一死後松井死球に出で二盗し遊撃手トンネルに三進、佐藤の遊匍失に松井生還、佐藤二盗成り夏目三振、小林遊匍失浦山三直に終る。西尾平野の三遊間安打のみにて無為。
 七回 戸苅遊匍失に意気二盗し、捕手ハンブルに一躍生還、石田三振、竹内遊匍暴投に意気、岡田三匍失に生還。松井牽制球にささる。西尾八木右飛、川瀬遊匍、前沢三振。八対〇、七回コールドゲームにて豊中大勝す。

 三回戦 七月三十一日 愛知大会代表決定戦

  豊中00000−0
  愛商0751A−13

 一回 豊中松井三匍失に生き佐藤三振浦山捕邪飛に二死小林三振。愛商手島四球伊藤死球勝川の二匍手島、伊藤を重殺、鵜飼左飛失にて長野四球小島遊匍に長野を封殺豊中よくピンチを切抜ける。
 二回 豊中無為。愛商安打集中し七点を入れ大勢決す。 三回 豊中松井佐藤共に四球に出で豊中にチャンス来れりの声あれども後援続かず。愛商又も敵失と安打によって五点を得。
 四回 豊中小嶋投手に牛耳られ浦山、小林、夏目共に凡退。愛商勝川の安打、鵜飼の右中間の二塁打等によって一点を得。
 五回 豊中三者凡退にして覇業空しく終る。

 東海代表は、接戦の末愛知商業が中京商業を一対〇で敗り二年ぶりに出場。
 全国大会は広島商業が優勝



                          昭和6年度(1931年)

 第17回選手権大会(昭和6年・1931年)東海大会愛知予選

 七月二十三日から二十九日まで鳴海球場で開催され、
 豊中は一回戦尾張中学にコールドで勝ったが、二回戦岡崎中学に惜敗した。

 一回戦 七月二十四日

  豊中60103−10   戸苅ー夏目信(豊中)
  尾張00000−0    加藤、前田ー安藤(尾張)

 豊中先攻、閉戦十時十五分(五回コールドゲーム)

 二回戦 七月二十七日

  岡崎000040010−5
  豊中000300010−4

 (校友会誌)
 一回より三回まで両軍得点なし。
 四回 岡崎一死後荻の安打があったのみ。豊中藤城、岡田よく選球し四球にでで山田のバントに送られ、夏目一も四球を取り一死満塁のチャンスとなり、夏目米の左翼安打を野手後逸する間に二者還り戸苅の次に夏目一生還、石田三振して止んだが一挙三点を得る。
 五回 岡崎安打戸四球により一挙四点をかへし一点リードする。豊中藤城のヒットあったのみ。
 六回、七回両軍無為。
 八回 岡崎大谷左翼に二塁打し高塚に送られ神保とのスクイズに還り、青山二飛に退く。豊中藤城中堅飛後、岡田セーフティーバントを試みて一塁に意気投手の暴投に三進、山田の二匍に生還、一点差となる。夏目一二飛。 九回 豊中二安打を放ったが惜しくも敗る。

 東海代表は中京商業が四対〇で岐阜商業を敗って初出場。全国大会も中京商業が初制覇。
 この大会参加校は一挙に六百三十四校となる。

 野球統制令が発令

 隆盛の一途をたどりつつあった中等野球の世界にも、粛清というか、自粛をうながす政府の手がのびて、全国の関係者やフアンの論議が巷に氾濫した。
 昭和七年三月二十八日付で、統制令ー文部省訓令第四号「野球の統制並施行に関する件」が発せられた。
 政府の見解としては「野球の人気に便乗して利益をあげるための各種の大会が数多く催されている。知名度の高いチームは各地の大会に招待されて、学校体育という立場から野球を考えるもの少なく、主として野球部或いは学校の名誉というような立場からそれを考えるものが多い。これは誠に遺憾なことで、またその間に必要以上の金品の授与や、小学生の有望選手の引抜きなどがあって好ましくない」などといった考えで野球の統制に乗出したわけである。
 その骨子は「中等学校の全国大会の開催は文部省の認可を必要とする」。「試合の主催権、入場料、選手資格などの規制」などが主となっていた。
 その一つとして、「軟式ボールの発明で、野球は飛躍的に広がり、軟球の誕生とともに大正九年から始まった「全国少年野球大会」も、回を追うごとに盛んになり、第十二回大会(昭和六年)の参加チームは、全国で三千余を数えるという盛況であった。(ちなみに昭和五十二年の甲子園大会の参加校二千九百八十五校)こうした熱狂ぶりが、野球統制令となって跳ね返ってきたともいえる。全国少年野球大会が昭和六年第十二回大会で打ち切られることになるのも「過熱」と無縁ではなかったといえる。



                          昭和7年度(1932年)

 この年三月末野球統制令が発せられ、招待、遠征試合や各種大会などが整理された。

 第18回選手権大会(昭和7年・1932年)東海大会愛知予選

 七月二十三日から八月三日まで鳴海球場で開催された。
 豊中は一回戦西尾中学にコールド勝ちしたが、二回戦享栄商業に八対二で敗れ望みを断たれた。

 一回戦 七月二十四日

  豊 中103047−24
  西尾中00000−0

 (校友会誌)7月二十四日、真夏の空は隈なく晴れて恰も今日の戦の幸先よさを祝すが如し。八時二十分快い朝風を満喫しつつ晴れの戦場鳴海原頭に向ふ我と先づ戦う者は誰? そは西三の一角に擡頭しつつある西尾中学なり。十一時殺気だったサイレンの音に遂に両軍の戦の幕は切って落されたり。一抹の暗雲低迷して鳴海原頭にただならぬ響聞ゆ。
 されば豊中の健棒は先づ野末いきなり三遊間安打、岡田左前安打、夏目、石田の三塁打に始り、恰も快刀村正の如き冴えを見る。 斯くて二十四対〇、五回コールドゲーム、本大会のレコードを作って悠々第一関門を突破したり。

 二回戦 七月二十七日

  享栄004400000−8
  豊中000200000−2

 (校友会誌・野末記)過ぎし日の敗退を思へば今猶胸の創傷去らず、されどここに再び享栄を迎へるに当り、今こそ復讐すべき時と我らの歓喜頂点に達す。連日に亘る先輩諸兄の尊きコーチ、今こそ報ゆべき時なりと胸に深く決し校友諸兄満餘の郷土フアンの激励の辞を浴びて、騎首を揃へ球場に馳せ参ず。
 時! 七月二十七日! 大日輪は赫々と輝き、グランドを囲む万餘の観衆好打にどよめき攻守に大鐡傘を破る許りの拍手を送る。
 ダークホース豊中復讐成るか惑星享栄之を破るか?
戦前に巳に熱戦を予想せる観衆は非常なる期待と緊張を抱いて両軍を迎へ、無気味な沈黙場内を圧す。十一時終に沈黙は破れ雌雄を決す大血戦は開かれたり。

 一回(享)日比野遊越安打、滝野三振後江口も左前安打したが近藤三匍、稲森投匍。(豊)野末四球、夏目(一)のバントに二進するも小山三振、夏目(米)一匍。
 二回(享)天野中飛失に一挙二進せしも林三匍、安藤三振中山左飛。(豊)藤城遊飛後石田左前安打し、戸苅の右前安打に一挙三進せんとして刺さる、住野投匍。
 三回(享)日比野三匍一失滝野中前安打江口四球に満塁の時近藤右翼三塁打に走者一掃、稲森四球(投手小山となる)を得直ちに二盗、天野の遊匍、稲森を殺す間に近藤生還、林も左翼二塁打したが安藤中山投匍、四点入れる。(豊)岡田左翼越二塁打を戞飛し、野末も遊撃を強襲し、夏目(一)の四球に無死満塁となるも小山の投匍岡田と重殺、夏目(米)更に四球を得るも藤城遊飛。
 四回(享)日比野左前安打、滝野バント江口四球を得、近藤二匍に二死となるも稲森左翼三塁打、天野三遊間安打(戸苅投手に)林の二塁打に更に四点を加ふ。(豊)八点をとられた豊中奮起し石田の三振後戸苅右前安打、住野に代る近藤四球岡田の左翼越三塁打に二者生還、猶有望と見ゆるも後援なし、併し此の回二点返す。
 五回(享)(住野退き近藤二塁岡田中堅となる)(豊)ともに無為。
 六回(享)江口左翼越三塁打せしも戸苅の好投よく敵を制し無得点とす。(豊)近藤の四球のみ。
 七回(享)無為。(豊)野末四球に出るも夏目(一)2匍、小山三振夏目(米)遊匍一失に生くるも藤城遊匍。
 八回(享)三者凡退。(豊)石田右翼安打に出る喪戸苅の投匍に封殺、戸苅も又近藤の三匍に重殺。
 九回(享)三者凡退。(豊)奮起せしも岡田三匍野末四球直ちに二盗せんとするも捕手の好投に死し、夏目(1)更に四球をとるも小山に代る鈴木遊匍に終に万斛の恨を呑んで退場す。

 東海代表は、中京商業が享栄商業に二対〇で勝ち、二年連続出場し、全国大会も二連覇した。



                           昭和8年度(1933年)

 第19回選手権(昭和8年・1933年)大会

 愛知予選は、七月二十三日から八月五日まで鳴海球場で開催された。
 豊中は一回戦岡崎師範に勝ったが、二回戦中京商業と緊迫したゲームとなり一対〇で敗れた。この試合は今でも球史に残る好試合であった。

 一回戦 七月二十三日

  豊中121000600−10
  岡師102000100−4

 開戦二時四十五分 閉戦四時四十五分
 審判 松井(球)伊藤、羽芝(塁)

(新愛知)豊中対岡師は攻撃は互角とみるべきも、岡師は試合慣れせぬため、エラー続出がわざわいして安打は十一本宛でありながら敗れてしまった。今少し試合の駆引きと敵投手の球を引付けて好球は見逃さず打つ、打撃の秘訣を知って貰いたかった。

 二回戦 七月二十八日

  豊中000000000−0
  中商00000010A−1


 【メンバー】 豊中 8:住野安二郎 4:近藤正義 3:石田功 1:小山常吉 2:夏目米二 
             7:鈴木隆信 5:小篠啓三 9:富田収 6:夏目一男
         中商 9:大野木 5:福谷 6:杉浦清 1:吉田正男 3:田中 4:神谷 8:鬼頭 7:前田 2:野口明

 開戦八時五十分 閉戦十時四十五分
 審判 松井(球) 夫馬、岡田(塁)

(新愛知) 豊中対中商戦は、最近異常な進境を示した三河勢の代表的強豪とも見得る豊中が、天下の強豪中商を迎へて如何なる所迄食ひさがるかが興味に中心であった。
 いざ試合となるや豊中の浮沈を一人で背負ったと思はれる左腕投手小山常吉は、左投手特有のインドロにカーブのコンロールもよく、相当中商ナインの健棒を散発ならしめ、毎回走者を出しながらも守備堅く容易に得点を与へなかったのは賞すべきである。
 中商は七回に至り、野口明の投手フライを豊中の捕手無理して落球しこれが敗因となって中商杉浦清に左翼線三塁打を放たれ貴重な一点を得られて豊中敗れてしまった。 しかし豊中が五回七回と無死にして走者一、二塁に進むチャンスを迎へながら千軍万馬の中商吉田正男野口明杉浦清の術中に陥り次打者のバントは何れも二塁走者を封殺して吉田正男投手の跳梁に委せてしまった。若しあのバントを今少し一塁側へ打ったなら試合はもつれたかも知れなかった、1Aー0で敗れたとは云へ豊中の善戦とみてよからう。

 「野球を校技とする」と、ときの中京商校長梅村清光は、大正十二年、学校創立と同時に野球部を創った。昭和八年の夏、予選のさなか梅村校長は病に倒れ東京で入院していた。ベッドにいても心配なのは野球部のこと、甲子園に出られるかどうかはもはや問題でなく、三年連続優勝が果たせるかどうかが問題だった。
 だが豊橋中を相手に苦戦、1Aー0 の辛勝で、病床の校長に心配かけたくないと、11ー0 で大勝と打電した。校長は「豊中を大敗せしめたならば大丈夫」と三連覇を確信して息をひきとったという。

 東海代表は、中京商業が岐阜商業に8−0と楽勝して三年連続出場。
 全国大会も中京商業が三連覇の偉業を遂げる。
 この大会の準決勝戦、中京対明石は甲子園大会の球史に残る名勝負で、四時間五十五分、吉田正男(中京)中田(明石)の死力を尽くす投手戦は、延長二十五回、1−0 で中京が勝った。



                            昭和9年度(1934年)

 第20回選手権大会(昭和9年・1934年)東海大会愛知予選

 七月二十二日から八月四日まで鳴海球場で開催された。
 豊中は一回戦、半田商業にコールド勝ちしたが、二回戦津島中学に敗れた。

 一回戦 七月二十三日

  半田商00000 −0 (五回コールドゲーム)
  豊  中03034A−10

 二回戦 七月二十五日

  津島中000300000−3
  豊  中000000000−0

 (校友会誌)東海にその名も高き我が豊中は不覚にも無名の敵、津島中学に長い長い恨みを呑んで敗れ去った。弱敵と見ての油断か、はたまた、技の彼に及ばざりしか、一千の校友諸君、何とぞ御許しあれ、涙ながらに戦跡を記せば。
 一回 両軍無為
 二回(津)三者凡退。(豊)夏目四球に出で、近藤の遊匍、二塁手落球に一、二塁、中野の一前犠打に二、三進好機と三重たが富田、大橋共に打上げて無為。
 三回(津)伊藤ストレートの四球に出でしも後援無し。(豊)牧野良く選び鈴木の投前バントに二進せしも高柳遊匍に、住野投匍。
 四回(津)一死後鈴木昇四球、日比野の右越え二塁打に二、三塁、鈴木幸の三前バントに鈴木昇生還、鈴木幸も一塁に生く。渡辺四球に満塁、伊藤四球に追ひ出しの一点、水野の左飛に渡辺還り計三点、西沢捕飛。  (豊)夏目二塁打して出て、近藤四球に一、二塁、中野二匍して近藤と重殺さるその間夏目三進せしも富田三振。
 五回 両軍三者凡退。
 六回(津)日比野四球に出でしも鈴木幸三振、渡辺遊飛。伊藤捕飛。(豊)高柳遊匍、住野四球、夏目の左飛後近藤選んで一、二塁によるも中野の二匍に近藤封殺。
 七回 両軍三者凡退
 八回(津)二死後日比野安打せしも鈴木幸遊飛。(豊)この辺で、とばかり鈴木三遊間を破って出でしも高柳右飛、住野の二匍に鈴木封殺、夏目の中前安打後逸に住野長駆本塁を衝きしも、寸前アウト。
 九回(津)西沢の二塁打ありしのみ。(豊)奮然最後の攻撃に入れども近藤投匍、中野遊匍に忽ち二死、富田遊匍失に出で、大橋四球に一、二塁或いはと思はれたが牧野打者の時、富田投手牽制球に刺され、遂に万事休す。 かくして我等は、惜くも鳴海原頭から姿を消したのだ。 しかしながら我等は固く誓った。思はざりし敗戦に払へども払へども尚湧き出ずる悲奮の涙を噛みしめながら来年こそはと!

 東海代表は、享栄商業が岐阜商業を三対二で敗り初出場。
 全国大会優勝は呉港中学。



                          昭和10年度(1935年)

 第21回選手権大会(昭和10年・1935年)東海大会

 愛知予選は、七月二十一日から八月三日まで鳴海球場で開催された。
 豊中は一回戦不戦勝、二回戦、三回戦ともにコールド勝ちし、準決勝戦で愛知商業に三対〇と敗れたが、東海大会に進むことができた。

 一回戦 不戦勝

 二回戦 七月二十四日

  熱田00020 −2
  豊中44112A−12

 熱田中を軽く蹴った豊中
(新潮報)敵は三回まで無為に終ったのに反し豊中は一回裏夏目中飛失に出て三盗を企て封殺されたが、続く前沢、高柳、中野、住野、近藤、松井、下山の七の四球を利した上に敵投手の暴投に乗ずるなど先づ四点を獲得した。
 二回にも夏目投匍悪投に生き前沢左飛失、高柳の内野安打で早くも満塁となり、中野一邪飛したが住野の四球に夏目先づ押出しの一点を揚げ、投手の牽制悪投で前沢、高柳生還し、近藤三匍に倒れた瞬間住野逸早く本塁に侵入、またもこの回四点を得た。
 三回下山四球に竹腰の二匍で二塁に封殺された。夏目、前沢何れも遊越安打を連発して竹腰生還、前沢二盗成らず、高柳遊飛。
 四回表には敵に二点を許したが、その裏中野三振、住野左翼前に安打して二、三盗に成功し捕手の牽制悪投で生還、近藤遊飛、下山三振。五回竹腰中堅前安打、夏目中飛したが前沢右翼前に安打を放って竹腰二進、高柳三匍に次いで中野左翼前に絶好の安打を放ったので一挙に竹腰、前沢堂々と生還し、五回コールドゲームとなった訳である。

 三回戦 七月二十六日

  豊  中43520−14
  愛知工00001−1

 豊中快勝、東海大会出場権を獲得
(新潮報)豊橋中学対愛知工業の試合は十四対一をもって豊中快勝し、宿望の東海大会へ、岡中、享栄、愛商と共に愛知県代表として出場することになった。
 その戦績は左の如し。
 先攻の豊中は一回二安打、二四球と一敵失で四点、二回は夏目遊撃を抜き、前沢の三匍に封殺されたが、高柳、中野、住野、近藤が連続安打して三点を加へ、三回竹腰中堅へ二塁打し、夏目四球を選び、前沢遊匍失で無死満塁となり、高柳の三匍で竹腰還り、中野の右飛失で夏目も得点、住野左翼へ安打して前沢を迎へ入れ、住野の二盗成り、近藤の遊匍で中野と住野が二塁から一挙生還して五点を増し、松井左翼越に三塁打したが、下山遊飛。 四回竹腰、夏目共に遊撃を抜き、前沢捕邪飛、高柳の三匍で竹腰還り、中野中堅へ快打して夏目を呼んで又々二点を入れ、五回も二安打あったが点とならず。
 一方愛工は五回三安打、一四球で一点を入れたのみ、結局十四対一で豊橋中学が快勝した。

 準決勝戦 七月二十七日

  愛商000003000−3
  豊中000000000−0

(新愛知)長身の高橋と小躯の高柳、これだけでよい対照であるのに、愛商の高橋は力をセーブして悠々と投球をしているに反し、一方豊橋中の高橋はあらん限りの力を一投一投にこめて愛商の打撃を封ぜんとした。さすればこそ天下に強打を誇る愛商にして幾分スランプにあるとは云へ四回まで一の安打も放つことが出来なかった。愛商軍をかくも苦しめた彼の投法並に頭のよさは賞讃に価する。▲五回に初めて安打を放った愛商は切れて放された奔馬の如く、守備力の弱い豊中陣に迫って六回には大館、村井を二、三塁において高めのボールを狙った高橋の一打は俄然本塁打となって三点を入れ勝敗を決定一息ついだ。▲これより先に愛商は一回二回共にトップ打者を一塁に送り乍ら一点先取の策を忘れて、強きに出で無得点に終った。精神的に得た負担は五回のきっかけを得るまで相当に愛商を苦しめていた。
 ▲豊橋中は幾分調子を下している高橋投手の球をよくあてていたが、愛商の守備は鉄壁の如く一つの安打を記録したに止めた高橋投手は投球練習の如く殆ど直球で豊橋打者に対していた。三振三は彼の真価でなく未だに蔵されていると見ねばならぬ。
 ▲あくまで喰い下らうと豊中全ナインが懸命に戦ったあとは幾多の好プレイとなって残った。殊に小柄な二塁の活躍、遊撃夏目の併殺など目に残るものがある。

 東海予選 第一日 七月三十一日

  炎天下に争ふ東海一の栄冠、八強豪の荘厳な入場式
(新愛知)二十一回全国中等学校優勝野球東海地方予選大会第一日は、三十一日午前十時から鳴海球場で挙行された。この日万余のファンは試合開始前から鳴海球場大鉄傘を埋め、全国二十二地方予選区中参加五十三校、量においても質においても全国一の激戦地と目される東海地方晴れの代表権を争ふ愛知、三重、岐阜三県代表の八チームは、前年度優勝享栄商業ナインを先頭に愛商、岐商、岡中、豊橋中、山田商業、山田中学、大垣商業の序列で松坂屋バンドの奏する楽隊の音につれてグラウンドを一周、君が代吹奏裡に国旗を掲揚、優勝旗返還、主催者挨拶、会長篠原愛知県知事の挨拶、塩瀬審判長の注意、享栄商業選手安藤主将の選手宣誓があって入場式を尾張、午前十一時待望された第一戦愛知商業対豊橋中学の試合は篠原知事の始球式で開始された。

 開戦十一時二分、閉戦〇時五十三分
 審判 水野(球)藤原、豊田、内海(塁)

  愛商130100000−5
  豊中000100000−1

 【メンバー】 6夏目米二 8近藤正義 1高柳正一 3中野重之 7住野安二郎 5前沢(高木)静男 2松井政一 4下山次郎 9竹腰繁

 一回愛商辻遊越安打、近藤三塁右を抜く安打し、竹村四球に愛商早くも無死満塁の好機を掴み大館の左飛に辻生還、水野右飛、村井中飛▲豊中夏目三匍、近藤遊匍、高柳投匍
 二回愛商夫馬四球にでで酒井の遊匍に二封、玉腰打者の時酒井二盗、玉腰四球、辻の二匍に玉腰二封されたが酒井三進、辻二盗、近藤の遊匍一塁暴投となり酒井、辻生還、近藤二進、竹村三塁左を抜く二塁打して近藤生還、大館三匍▲豊中中野、住野共に二匍、前沢三匍
 三回愛商水野三振、村井右飛、夫馬遊匍▲豊中松井一匍、下山三振、竹腰投匍
 四回愛商酒井中飛玉腰右前安打して二盗、辻の投匍に三進、近藤の三匍一塁暴投となり玉腰生還、竹村四球、大館の三匍に近藤三封▲豊中夏目遊直、近藤四球、高柳三振、中野二塁左を抜き近藤二進、住野右中間安打に近藤生還、中野三進したが前沢左飛
 五回愛商水野二匍、村井右飛、夫馬三匍▲豊中松井遊匍、下山三直、竹腰左飛
 六回愛商酒井捕邪飛、玉腰四球に出で辻の中前安打に二進、近藤中飛後玉腰投手牽制球に二、三間に挟殺さる▲豊中夏目二塁内野安打、近藤、高柳共に三振に退いたが中野、住野良く四球を選び二死満塁となったが前沢三振に退く
 七回愛商竹村、大館三塁強襲安打に都築水野の遊匍に大館二封され竹村三進、村井の遊匍に竹村三本間に挟殺され、夫馬四球に二死満塁の好機を迎へたが酒井遊匍して夫馬二封▲豊中松井死球に出たが下山一飛、竹腰二飛、夏目遊匍に無為
 八回愛商二飛、辻四球に出たが二盗成らず、近藤遊匍▲豊中近藤三振、高柳三匍、中野投匍
 九回愛商竹村三振、大館投匍、水野四球、村井左飛▲豊中住野四球、前沢左飛、松井三振後住野二盗三盗に成功し、下山四球を選んで走者一、三塁の最後の好機を迎へたが竹腰遊匍して下山二封、結局5ー一にて愛商勝つ。

 東海予選の結果

 一回戦   愛知商 5−1 豊中    岐阜商 1−0 享栄商
         大垣商 4−2 山田中   岡崎中 8−0 山田商
 準決勝戦 愛知商 2−1 岐阜商   岡崎中 7−2 大垣商
 優勝戦   愛知商 2−0 岡崎中

 東海代表は愛知商業が五年ぶりに出場した。
 全国大会は松山商業が優勝。




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