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第9〜11回 夏の予選の成績
第9回(大正12年・1923年) . 第10回(大正13年・1924年) . 第11回(大正14年・1925年)
1回戦 愛知一中 12:0 豊橋中 1回戦 豊橋中 12:3 曹洞三中 1回戦 豊橋中 5:3 尾張中
. 2回戦 豊橋中 8:4 斐太中 2回戦 豊橋中 7:5 愛知工
3回戦 四日市商 7回棄権 豊橋中 3回戦 岐阜中 9:2 豊橋中
主将大場負傷で棄権 .
甲子園球場完成



                         大正12年度(1923年)

 東海五県連合野球大会の改組

 東海五県連合野球大会は大正十一年度で終りを告げ、参加校の増加等の理由で、十二年度からは、組織を改めて全国中等学校野球大会の予選としての東海大会とし、愛知、岐阜、三重の三県内のチームで対抗戦を行い地区代表を選んだ。
 昭和二年からは、愛知、岐阜、三重県ごとに一次予選を行い、各県の代表が第二次予選を行い東海地区代表を選出方法をとった。
 球場も従来のように主催校の校庭使用をやめ、八事球場(現名古屋市昭和区八事)―正式には八事尾電球場を使用することになった。

 第9回選手権大会(大正12年・1923年)東海大会

 七月二十八日から五日間名古屋鶴舞公園などで開催された。
 今年も一学期試験終了と共に選手は合宿、慶応大学から千野選手をコーチに迎え、先輩牧野、大場、河合、小川、鈴木、太田諸兄指導のもとに練習にまた練習に励んだ。だが猛練習の甲斐なく、一回戦、愛知一中に完敗し、早々と姿を消した。

   烈日の下に熱球飛ぶ
(新愛知)東海中等学校野球大会は二十八日、鶴舞公園及名古屋高工の両グランドにて挙行された。此の日午前八時半、参加二十一校の選手二百余名の入場式は観衆で四重五重と人垣がつくられた。鶴舞公園第一グランドに於て盛大に挙行され、多年東海各中等学校チームが憧憬の的となった優勝旗は、前年の優勝校たる名古屋商業伊藤主将の手により岡崎大朝支局長の手に返還され、午前九時型の如く始球式あり、陽光輝々として眼を射るグランドの彼方優勝旗燦として翻り、観衆席に白扇の波美しく揺ぐ、かくして公園、高工の両グランドに勇ましき東海野球争覇戦の幕は切っておとされた。

  一中3023121−12
  豊中0000000−0

   一中大捷
 愛知一中対豊橋中学は午前九時二十分、紙栄(球)小笠原(塁)両氏審判、一中先攻にて開始。
 一回塚本四球に出で塚田犠打、広瀬右中間三塁打に生還、水野鉱遊撃安打に広瀬生還、森、水野時四球、石田遊匐失に水野鉱生還、間下凡打石田一塁に刺され止む。豊中三者三振。
 二回一死後塚本四球に出で三盗せしも二者凡退、豊中三匍失に出たるも後援続かず。
 三回水野時左翼越の三塁打、森凡退、水野水野鉱四球、石田二匐失に両水野生還、二者凡退、豊中無為。
 四回一中一死後塚田四球に出二盗し、広瀬の安打に塚本生還、水野鉱の中飛失に広瀬生還、 森の遊匐失に水野鉱生還後続かず、豊中三者凡退。
 五回塚本四球、塚田の犠飛、広瀬の安打に塚本生還、二者凡打、豊中無為。
 六回水野時二塁越安打、石田、間下四球無死満塁となりしも伊藤一塁ゴロに水野時本塁に刺され、間下二、三塁間に挟殺さる。塚本の二匐失に伊藤生還、塚田三振。豊中一死後大林右中間に三塁打せしも後援続かず。
 七回広瀬遊三間に三塁打し水野鉱の一塁匐に生還、二者凡退、豊中最後の奮戦せしも入らず。十二対零にて一中勝つ。閉戦十一時三十五分。

 東海大会の優勝は愛知一中で、岐阜中学に十九対二と大勝し出場。
 愛知一中は、今年度からまた三年連続して東海代表となり、一中の黄金時代が続く。
 全国大会は甲陽中学が優勝。



                         大正13年度(1924年)

 部を去るに当って  (校友会誌30号大正13年3月)                   大林士一

 野球部に入って四年夢の様に過ぎてしまった。その間何等校友の為になる事をしなかったのを深く謝さねばならない。中学野球生活も終り、部を去らねばならないかと思ふと何となく悲しい、思い起す、四日市商業の大会(此の時こそ自分は投手としての最初であった)を初陣に八高、公園と四回の大会も敗戦の地位に陥ったのである。この間数十回と戦ってであろう。勝って喜んだ事、或は恨を骨髄に徹して敗戦の余憤を永久去らしめない様な時もあった。或は暑い盛夏の日のグラウンドに立っての練習、或は寒風肌を裂く様な冬の日、ユニフオーム一枚で技を磨く、唯此の大会に優勝せんが為であった。がすべての期待と希望に反して悲しい涙となってしまった。やはり自分は投手として否野球選手として立つべき資格がなかったのだ。学校の名誉と生命とを双肩に担ふべく余り貧弱であったのだ。殊に今年自分は主将と云ふ責任を冠せられながら第一回戦に、一中に惨敗を来たせられたのは、校友に対して実に申訳がない。名誉ある豊中野球部に対して何と謝してよいかわからない。
 而しこれらはすべて過去の事となったとは云へ、敗北の余憤はなお自分の頭から去らないのである。いや自分が生を受けて居る間は、永久に去らないのだ。
 天は吾人を捨てたのであろうか、否『天は自ら助くる者を助く』とかや努力が足らないのだ。努力は生命であり、努力の前には敵はないのだ。すべて是等の結果は努力によって左右せられるのだ。
 新選手諸兄の此の努力によって再び天下に覇を誇られん事を。
 希くは校友諸兄の熱心なる応援と相俟って……。

 「春の選抜」がスタート(大正十三年)

 現在、高校野球界には大きな行事が二つあり、一つは「夏の大会」すなわち全国高等学校野球選手権大会。それに劣らず人気を呼んでいるのが「春の選抜」選抜高等学校野球大会である。
 春の選抜は大正十三年、毎日新聞社が朝日新聞社に対抗意識も多分にあったろう。夏の大会から遅れること八年、大構想を打出した。
 選抜大会は日本国中をブロック制で分けて成績優秀な強チームを選抜して一堂に集め、最強チームを決めようというのである。「夏の選手権大会」は予選から一本勝負の勝ち抜き戦のため、運、不運がともない、実力抜群の強チームといえども予選で敗れ去ることが往々にしてある。また一地区のレベルが高いと、実力があっても代表になれないことがある。そういった選手権大会とは別の意味で、全国から優秀チームを選抜して試合をさせたら…」というところにあった。
 そして、この大会に参加するチームを選ぶためには、球界の先輩たちで構成する権威のある選抜委員会を設け、技倆に加えて品位を重んじ、さらに地域的な面も配慮して優れたチームを選び、大会を構成することにした。
 この根本原則は、いまなお厳格に守られ、球史とともに重さを加えている。

  発生の地は名古屋
 春の選抜・第一回大会は名古屋八事山本球場で開かれた。この地区が第一回の会場に選ばれた理由は、「記念すべきスタートは、野球の盛んな東海地区で…」にあったようだ。
 また主催者のはじめの考えとしては、地方の中学球界に刺激を与えるため、一年ごとに全国各地の球場を選んで回り持ちとする意向だったが、第二回以降は設備の整った甲子園球場を晴れの舞台とすることになった。
 第一回大会の選抜校はわずか八校であった。地元の愛知一中をはじめ、早稲田実業(東京)、横浜商業(神奈川)、立命館中学(京都)、市岡中学(大阪)、和歌山中学(和歌山)、高松商業(香川)、松山中学(愛媛)。 愛知一中は一回戦で立命館中学に十六対三で大勝したが、二回戦ではこの大会の優勝校の高松商業に七対一で敗れた。
 さらに愛知一中は第三回大会まで連続選抜された。


 第10回選手権大会(大正13年・1924年)東海大会

 大会直前に名遊撃手竹内病気となり、田中負傷のため、庭球部から鈴木弥、鈴木武馳せ参じたとある。
 大会は七月二十八日から七日間八事球場で開催、豊橋中は一回戦 曹洞三中二回戦 斐太中学を敗り、三回戦 四日市商業と接戦を展開したが、七回豊中大場主将が、デッドボールに倒れて棄権、規則により九対〇で敗れた。

 (校友会誌)二十九日午後対戦のため早朝七時鉄路にて向う。河合、村田部長、伴先生、下山コーチャー、大場、鳥居、佐竹、佐藤、鈴木愛、杉浦、山口、鈴木弥、鈴木武、榊原、足立、石井等を乗せて西へと列車は進む。 午後三時半、両軍シートノック終るや塁審江上氏やをら一塁三呎線に姿を現せば、球審岡田氏の右手にマスクを捧げて朗らかに『プレーボール』を宣し、豊中鈴木愛選手雷の如き喝采と共に打者盤に起ち、臥薪一年待ちに待ちたる戦の最初の一瞬間は過ぎぬ。

 一回戦 七月二十九日

  豊   中2142021−12
  曹洞三中0000030−3

 第一回 豊中鈴木強打遊撃を衝き、暴投に二進し、佐竹に送られて三進す。大場三匐、野選に鈴木愛生還、大場無人の境を行く如く二塁を盗み更に三塁スチール投手の三塁悪投に生還、佐藤三振、山口遊匐。曹中千田三振、武内投匐、岡本又三振。
 第二回 豊中鳥居三塁を破りて駿足スチール、新入鈴木弥に送られ榊原とのスクィーズに生還、杉浦四球を奪ひて出でスチールし、鈴木愛又三塁を失らせ佐竹投匐野選に満塁、大場立ちて痛打せし球は遊撃の真向を衝きて得られ止む。曹中振はず狩野は中飛、橋本左飛、福田一飛に終る。
 第三回 豊中佐藤捕匐に退きし後、山口遊撃低一投に生き、鳥居の三遊間安打に進み、鈴木弥の三匐悪二投に山口長駆生還、榊原投手を攻めて鳥居生還、杉浦更に遊撃を鈴木愛三塁を破って鈴木弥生還、佐竹投手を襲って成らず、榊原本塁に刺され、大場三振に止みしも一挙四点を加へて意気昂然守備の陣を張る。曹中大橋投匐、長谷川三邪飛、加藤四球に出でスチールし健気にも更に三塁スチールせんとして刺さる。
 第四回 豊中佐藤第一球を打てば戞然の響あり快打は三遊間を抜きて中堅を失らせ一挙二塁に、山口の三塁抜き安打に三進、鳥居の二塁安打に堂々生還、山口又二塁より生還、鈴木弥三振後ピンチバッター鈴木武四球に出でしも、杉浦の難飛球遊撃巧捕して山口併せ殺さる。曹中千田四球に出で、武内の三振後岡本の左翼安打し投手暴投に三進せしも狩野三邪飛、橋本三振。
 第五回 豊中鈴木愛投匐、佐竹の快打は遊撃の功名に帰し、大場二飛。▽豊中鳥居一塁に退き佐藤プレートに立つ。曹中福田二匐、大橋四球に出塁せしも長谷川の投匐に併殺されて止む。
 第六回 豊中佐藤四球に出で、山口、鳥居三塁を攻め其の連失に満塁となる。鈴木弥三振、鈴木武捕邪飛に退きしも、杉浦再度の四球に佐藤生還、鈴木愛又遊撃を破って山口還る、佐竹二飛。曹中加藤四球、千田又四球、佐藤投手コントロール全く無く武内又四球を得て満塁となる。鳥居再びプレートに立つ。勢附きし敵岡本二遊間に安打して加藤千田生還、狩野の投匐に武内も生還、橋本二匐、福田打者の時岡本功に焦って本盗を企てて大場に刺さる。
 第七回 豊中大場三匐、一死後佐藤遊匐失に出で捕逸に二進し、山口又もや遊撃を失らせて佐藤三進し、鳥居の左翼犠飛に還る。鈴木弥中堅に難飛球を呈せば橋本横走掌中せし美技は敗軍最後の華か?  曹中福田三振、大橋又三振 長谷川二匐。大会規定によりて七回ゲーム十二対三のスコアーにて我軍大捷す。

 二回戦 七月三十日

 午後一時五十分、尾電球場に於て主審藪内氏、塁審小城氏の下に開始さる。

  豊  中200002121−8
  斐太中200002000−4

 第一回 鈴木愛四球直ちにスチールす、佐竹二塁破りてスチールし走者二三塁にあり、大場打つと見せて巧みに敵の裏をかきバント、敵投手急遽本塁に至れど甲斐なし、鈴木愛先づ生還、佐竹又三塁にあり、果然大場二塁スチールを企つ敵遊撃手捕手よりの好球を失して佐竹生還、大場三塁スチールせしも佐藤三振、鳥居の三振時に本塁を衝き併殺さる。斐中広田の一打は左翼を抜きて一挙二塁に、武田の遊匐に送らる。金井再び遊匐せば榊原如何一塁に暴投して走者二三塁になる。大江更に四球に満塁、信包遊飛に退きしも、鳥居如何しけむ又もや打者に暴投して金井生還、猶走者二三塁にありしも上西を三振に打取る。
 第二回 豊中山口三匐、榊原左中間に安打して出でしも杉浦左飛、榊原又二塁に望んでならず。斐中山田三振、山本三匐、広田又もや左中間に長打せしも一挙三塁を望んで刺さる。
 第三回 豊中鈴木弥左飛に斃れ、鈴木愛三振、佐竹左飛。斐中武田遊撃を破って出でしも金井の捕邪飛に併殺され、石黒三塁を破って生きしも大江三塁匐にならず。 第四回 豊中大場遊飛、佐藤右翼安打に出でしも鳥居の三匐に封殺、鳥居二塁を望んで刺さる。斐中信包遊匐、上西三飛、山田二匐。
 第五回 両軍無為
 第六回 鈴木弥二匐、鈴木愛は左中間に安打して出でスチールす。佐竹左飛にて二死、主将大場三遊間を抜き手鈴木愛長駆生還、大場二進三スチールして佐藤の二飛失に生還、鳥居投匐。斐中金井投匐、石黒三遊間に安打して出づ、大江左翼直球を野手誤りて二塁打となし走者二三塁、信包一匐して金井生還、上西の三匐何事ぞ、杉浦失して石黒も又生還、山田遊匐に止む。
 第七回 山口投匐、榊原二匐、杉浦四球に出でスチールす、鈴木弥三塁を衝き高球一失に杉浦長駆生還、鈴木愛四球を奪ひしが、佐竹三匐に退く。斐中山本、広田四球に出でしも、武田左飛、山本焦って三塁を望みて刺され、金井三振。
 第八回 大場左飛、佐藤バット一閃熱球は中堅の空を破りて飛ぶ、続くは鳥居長棍一揮、見よ!鳥居の熱球は快音と共に遥か右中間を抜き転々す。ホームラン、ホームラン、尾電球場最初のホームラン。満場熱狂して鳥居の功を頌するのみ。吾人鳥居の武者振りを見て実に羨望に堪へざるあり。山口更に三匐暴投に二進し榊原の遊匐に送られしも杉浦遊直。斐中振はず石黒遊匐、大江投匐、信包投匐。
 第九回 鈴木弥三振、鈴木愛遊撃安打に出でスチールし、佐竹の左翼安打に生還、佐竹二塁を望んでならず、大場三匐一失二進せしも、佐藤遊匐に退く。斐中上西三振、山田三遊間を抜いて出で山本又二遊間に安打す。広田投匐、武田三匐に遂に止み、大接戦九合八対四遂に斐中を仆す。

 三回戦 七月三十一日

  対四日市商業戦 七回主将大場負傷のため棄権

  豊  中 300000
  四日市商010102           豊橋中   四日市商 
                         7鈴木愛  5内 山  
                         4佐 竹   9金 子  
                         2大 場   3川 西  
                         3佐 藤   6蒔 田  
                         1鳥 居   1福 村  
                         8山 口   9加 田  
                         6榊 原   4近 藤  
                         5杉 浦   2佐 藤  
                         9鈴木弥  8梶 田  

 (第七回の経過を記す)
 豊中三対四、かくてはならじと鈴木愛打者盤に在りて必死に努めしも好漢惜しや焦って投匐、佐竹又遊撃を襲ひしも甲斐なし。主将大場打者盤にたち苦心惨澹、主将たる人の心の中の苦しさ、思はず同情の涙頬を伝ふ。ツーボール、果然彼のバットは閃いた、然しハウルボール、再び投手の腕は動いて第四球は投ぜられた。快打か?萬人等しく彼の打棒に眼に注ぐ時、突然異様な音と共に、アッ! 彼は倒れてしまった。其の場に、ホームプレ−トの上に、驚いた戦友が馳せ付けた時はもう遅い。チップが顔に当ったのだ。眼の上に、瞼に裂傷を負ふた。血が顔の上を流れる…。
 其の後は僕等は言ふに忍びない。最後に部長が棄権の申出でをした時の君の悲痛な言葉―あれが涙無しで聞かれやうか。我々は一瞬間前のダイヤモンド上で敵と組み討つた。野次に平然たる我々ではなかった純真な青年としての、友の憂ひに我は泣く少年であった。それからそれへと思ひ出される事、竹内でも居てくれたら。田中でも居たら―主将斃れて之に変る者無く棄権の悲運、四邊に起るは嗚咽の音のみ。
 棄権の為規則によって九対〇で四日市商業の勝ちとなる。

 東海代表は愛知一中が熱田中学を敗り、昨年に続いて出場。
 全国大会は広島商業が優勝。参加代表チームは十九校。

  甲子園球場が完成

 大正十三年、兵庫県西宮市に甲子園球場が完成、今年度から使用することになった。五万五千人収容の大スタンドも大会四日目から満員になり、来場お断りという掲示が張り出される始末であった。



                         大正14年度(1925年)

 三月末近県中等野球大会で愛知一中に十四対六で敗れた。新年度に入り、愛知商に十一A対二と大差で敗れたが、五月浜松中に十五対二、七月成章に十一対三、又浜松中と十対三で勝っていた。

 第11回選手権大会(大正14年・1925年)東海大会

 七月二十七日から六日間、尾電八事球場で開催された。 豊中は、一回戦尾張中学、二回戦も愛知工業に勝ったが、三回戦で岐阜中学に敗れ、決勝進出はならなかった。

 一回戦 七月二十七日

  豊中110000201−5
  尾張000002010−3

(校友会誌)
 第一回 豊中鈴木三振、杉浦四球に出で二盗す。山口死球、佐藤も四球に満塁となる。田中遊匐して杉浦を還す。竹内三匍。尾中三者凡退
 第二回 豊中榊原好打せしも中飛、足立三振、松井四球に出で直ちに二盗し捕逸に三進し、捕手の投手返球の失に乗じ敏速く本盗す。鈴木四球に出で二三盗せしも杉浦三振。 尾中服部三匐、長岡左中間に長打し三進せんとせしも左翼手の好投に三塁寸前に死す。川口三振。 
 第三回 豊中山口三塁失に出で二盗す、佐藤四球の好機至れども後援無し。 尾中二死後、市川一二間安打に出で、服部三匐失に生けども磯部捕飛。
 第四回 豊中足立四球、松井三振後、鈴木中越二塁打すれば足立一挙一塁より本走せしも中堅手の好投に本塁上に憤死す。杉浦左飛。 尾中二死後、長岡左前テキサスに出でしも川口遊匐。
 第五回 豊中三者凡退。 尾中二死後、市川二匐失に出でしも服部三振。
 第六回 豊中三者凡退。 尾中磯部三振、浅野二塁安打、服部四球、長岡二匐して二三塁に、川口左前して二者生還、服部二匐。
 第七回 松井二塁安打に出るや直ちに二盗す。鈴木左翼横を抜く本塁打を打ち二者悠々生還す。杉浦山口三振、佐藤遊撃安打せしも田中三振。 尾中丹羽二匐、市川遊匐失に出でたるも服部捕邪飛、磯部右邪飛。
 第八回 豊中二死後足立四球、松井遊匐。 尾中一死後服部左翼線上に本塁打して一点を加ふ。長岡左飛、川三匐失に出で二盗を企て田中の強肩に斃る。
 第九回 豊中鈴木三塁安打に出で二盗す。杉浦二塁の失に生き、山口のスクイズ成りて鈴木生還、杉浦三盗に死す。佐藤三飛に我軍攻撃を終る。 尾中最後の攻撃に一点なりともと焦りしも竹内に封ぜらる。

 二回戦 七月二十九日

  豊中000000601−7
  愛工000000014−5

 第一回 豊中鈴木愛四球、杉浦投失に二者生く、鈴木三盗に死す。山口三匐に杉浦封殺さる、佐藤四球に出でたるも田中遊飛に最初の好機を失ふ。 愛工鈴木四球に出で二三塁を奪ふ。服部投飛、岩月三匐を足立よく取りて本塁に好投し鈴木を殺す。竹内遊直。
 第二回 両軍無為
 第三回 豊中松井中堅に安打し二盗せんとして斃る。鈴木四球、後続凡打。 愛工鈴木右中間に安打したれども棚橋の三匐に封殺、棚橋も亦鈴木の二匐に封殺、服部遊匐すれば杉浦失し球は外野に転々とす。一塁上の鈴木本走せしも山口好投して間一髪に殺す。
 第四回 豊中佐藤中右間安打、田中四球、竹内の三前軟打に二者進塁、榊原三振、足立四球に満塁、松井期待されしも惜しや三振。 愛工二死後、鈴木中堅越三塁打を飛ばせど、棚橋を三振に打取る。
 第五回 豊中二死後山口は遊撃を失せしめ直ちに二盗す。佐藤二匐を塁手一寸ハンブルする間に山口長躯生還せんとせしも敵本塁に好投す。捕手タッチに際して落球せしも審判これを水してアウトを宣告す。 愛工岩月四球に出でしも竹内に計られて一塁に死す。二者凡打。
 第六回 豊中田中三塁を破って出でしも二盗に死す。竹内三飛、榊原匐失に生きしも足立三振。 愛工二死後岩月左前安打に出で、竹内の三匐失に二三塁になるも藤原三振。
 第七回 豊中松井の一打は左翼越の三塁打となり、鈴木の一前絶好の内野安打に生還。杉浦軟打して鈴木を送る。山口の遊匐失に鈴木も生還。佐藤捕邪飛に二死、田中四球、竹田の遊匐失に満塁の好機。榊原二塁越安打を打ち二者生還、足立も三側安打を戞飛ばして二者生還。松井、鈴木四球に再び満塁となりしが杉浦中飛。 愛工北村中右間二塁打に出ず、小山の強打榊原よく取りて北村併殺。鈴木三匐。
 第八回 豊中三者凡退。 愛工棚橋に代りし米村遊匐失、鈴木三匐に封殺、服部中前安打、岩月中堅越安打に鈴木還りて一点を許す。竹内左前に運ぶも服部三塁に封殺、岩月三盗せしも田中の強肩に死す。
 第九回 豊中竹内猛打すれば左翼線上に二塁打となり、榊原の遊匐に三進す、足立の三振する間にホームスチールす。松井遊匐。 愛工藤原二匐。北村四球、小山左飛に二死となり、竹内気を許したか鈴木に左側二塁打を許し、米村に左翼フエンス越の本塁打を与へ走者一掃三点を許す。鈴木遊匐すれば杉浦失し、服部の遊匐再び失し、岩月左前安打に鈴木生還す。竹内四球に満塁となり危機に至る。藤原遊飛、杉浦好捕してゲームセット。 勝った。七対五 聞くもいたましい激戦を語る。

 三回戦 七月三十日

 今日決勝出場を決する日、戦の火蓋を切りしより三日、連日百幾度下の炎天下に悪戦苦闘に彼破れ此れ憤死して残るものは或は傷き、深手、浅手を幾十ヶ所、尚残りて大肉弾戦を演じ、其の肉の一片をも残さじと雄々しく戦陣に立つもの僅か八チーム。我軍は今日十時より尾電球場に強敵岐中と対戦するのだ

  岐中200000232−9
  豊中001100000−2   球審岡田 塁審足河

 第一回 岐中伊藤死球、浅井四球、三浦捕邪飛に一死後、木村二遊間安打に満塁となり、早崎の二匐に伊藤生還、木村封殺さる。浅野右前テキサスに浅井も還る。安田三振。 豊中鈴木三振、杉浦遊飛、山口遊匐に点とならず。
 第二回 岐中高木三振河田遊匐、伊藤三振。 豊中佐藤遊側安打、田中三振、竹田三匐に佐藤封殺、榊原三飛失、足立四球に満塁となれど松井三振。
 第三回 岐中浅井三匐、三浦遊匐、木村中飛に振はず。 豊中鈴木三振、杉浦三匐失に生き、山口の三飛に二死となる。佐藤中右間に三塁打すれば杉浦生還、田中中飛。
 第四回 岐中早崎中飛、浅野投匐、安田遊飛に凡退す。 豊中竹田榊原共に遊匐に二死となり、足立四球、松井に代りし市川三遊間安打し、足立三進捕手の暴投に生還同点となる。鈴木四球に出ずれども市川軽率にも三塁に横死す。
 第五回 岐中高木三匐失、河田の三匐に封殺さる。伊藤浅井共に四球に一死満塁となる。三浦遊匐すれば杉浦本塁に好投して河田を本塁寸前に死す。木村右飛。 豊中杉浦三振、山田四球に出づ。佐藤左飛、田中の左飛に三二塁により本塁を望めども竹内三振。
 第六回 岐中早崎三振、浅野四球、安田投匐高木左飛。 豊中榊原二匐、足立三振、市川投匐、六回を終へども二対二両軍投手の好投と堅守、凱歌は何れにあがる哉。
 第七回 河田の遊難飛杉浦好捕す。伊藤遊匐失に生き浅井三遊間を抜く安打に伊藤本走す。鈴木本塁に好投すれど噫!球は塁寸前の小石にあたりてバウンド変りて逸球し惜しくも一点を許す。浅井三進す、三浦内野安打して浅井生還、木村の遊匐杉浦再び失す。早崎投匐に三浦木村を併せ殺す。 豊中奮起す。鈴木四球、杉浦内野安打に出て、山口長棍一振絶好の当りも遊撃好捕して鈴木併殺され、佐藤は遊匐に長蛇を逸す。
 第八回 岐中浅野三越安打に出でしも安田の遊匐に封殺さる。高木三匐失、河田左飛二死後伊藤左翼越三塁打に安田高木生還。伊藤も亦浅井の安打に還る。三浦中飛。 豊中田中遊匐失、竹田三振、榊原の投匐に封殺。足立三振。
 第九回 岐中木村三側安打に出で、早崎の右翼線上に沿う三塁打に生還、木村も浅野の左前安打に還る。高木左飛、安田二匐、河田左側安打せしも伊藤二飛。 豊中最後の攻撃に岐中を併呑せんとせしも市川三飛、鈴木四球に出でしも杉浦の二匐に封殺。山口三匐に万事休す。
 九対二! 我々は終に近い三回にかくして負けたのだ。総ては葬られたのだ。思ひ起す一年間の苦しい練習、三夏の鋭い光線が敗戦に泣く我等を笑っている。

 東海代表は、愛知一中が熱田中学を十二対一の大差で敗り、三年連続の出場。
 全国大会は高松商業が優勝。全国大会予選参加校は三〇二校になった。




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