●第2回選手権大会(大正5年・1916年)に”出場”

               

 
夏の選手権は大正5年(1916年)の第2回大会に出場、本大会優勝の「慶応普通部」に  6:2 で惜敗。愛知県勢で全国大会に出場したのは、これが最初である。

東海5県連合大会(優勝) 第2回選手権大会に出場
. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 . 1 2 3 4 5 6 7 8 9 . 愛知四中 慶応普通部
1回戦 山田中 0 0 0 0 0 0 0 . . 0 慶応普通部 0 1 0 0 0 0 2 2 1 6 守備 選手名 打数 安打 失策 守備 選手名 打数 安打 失策
愛知四中 9 0 2 0 6 5 A . . 22 愛知四中 0 0 0 2 0 0 0 0 0 2 4 今泉 4 0 1 7 佐藤 5 1 0
2回戦 岐阜中 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 慶応普通部は愛知四中・
香川商業・和歌山中を
破って優勝
6 小野田 4 2 1 3 ジョン 5 0 0
愛知四中 0 0 6 1 1 0 0 1 A 9 1 下山兄 4 1 1 8・1 山口 4 2 0
優勝戦 愛知一中 1 0 0 0 0 2 1 0 0 4 5 小栗 3 0 0 5 塩川 4 2 1
愛知四中 0 0 4 0 0 1 0 0 A 5 5 4 1 0 9 河野 5 1 0
愛知一中・愛知四中・愛知二師・
山田中・四日市商・岐阜中・
大垣中・浜松中の8校が参加
2 馬場 4 1 1 6 平川 3 1 1
7 下山弟 3 0 0 4 足立 4 1 1
9 塩瀬 4 0 1 2 出口 3 0 0
8 伊藤 3 0 0 1 新田 1 0 0
. 8 田嶋 3 0 0
33 5 5 37 8 3
三振:9、四球:1、
犠打:1、盗塁:1
三振:3、四球:3、
犠打:1、盗塁:6
三塁打:馬場、二塁打:小野田 .

東海五県連合野球大会

 大会は本校で行うために、参加校は一、二日前に来豊し、校庭で山田中、一中、二師校らの練習ぶりを見るに、選手たちは我が校の相手にならずと呑むところがあった。
(新潮報)第十三回東海聯合野球大会は既報の如く昨日午前九時二十分より県立第四中学校グラウンドに於て盛大に挙行されたり。競技に先だち優勝旗返納式あり、山田中学選手は教員付添の上、山崎第四中学校長の前に進み優勝旗を同校長に捧ぐ。校長は之を受けて更に満井教諭に手渡し式を終る。茲に於て第四中学は攻者の位置に就き、山崎校長の手にて始球式厳かに行はるるや応援団の拍手盛んに起る。かくて山田中学対愛知四中学の第一回戦は、中松、国井両氏審判の下に開始されたり。


第一回戦 対山田中”大差を以て四中の大勝利”

  山田0000000−0
  四中902065A−22

 第一回 攻者 山田中は田中、市川、菊川の三勇士相次いで全滅したれば、四中之に代りて攻者となる。而して今泉、小野田、下山、小栗、関、馬場、下山、伊藤小野田等九人生還したるが、右の中伊藤、小野田の同時生還せしは、下山の中堅に向って打ちし大飛球の為なり。 第二回 山田中の金子三振に倒れ、続いて奥野、置塩相次いで討死を遂げ、四中の投手下山は遊撃に回り小野田投手となりしも振はず、山田中同様関、馬場、塩瀬共に一点も得ずして倒る。
 第三回 山田中は依然振はず、石川一塁に死し田中三振して倒れ、菊川熱球を打ちて倒る。之に反し四中は今泉、小野田生還をかち得たり。
 第四回 山田中の置塩、金子、藤井瞬く間に死して四中と交代す。下山、今泉、小野田何れも倒る。
 第五回 山田中は依然振はず、松崎中堅に打ちて奥野と共に無惨の死を遂ぐ。石川又高球を打って倒る。四中は小栗の安全球に依りて下山生還せしより、小栗、馬場、伊藤、塩瀬、今泉相次いで生還し、六点を得て気勢益々昂る。
 第六回 山田中の市川、置塩、菊川、轡を並べて戦死を遂げ、四中之に代る。小栗の生還あり、塩瀬の熱球に依って馬場、下山の両人ダブル生還し意気大に昂りたるも次いで小野田、下山の死に依り三死となる。
 第七回 四中守者となり山田中攻勢を執りしも、金子、藤井、奥野、哀れ悲惨なる死に依り全滅す。
 此時審判官は試合の結末を告げ、山田中学〇対第四中学二十二点の大差をもって四中の大勝利に帰せり。時に正午十分前なりき。
 この山田中学と愛知四中との対戦は、昨年度の大会の優勝戦で五対四をもって四中は惜敗。本年度は開会劈頭に対戦して二十二対〇で勝ち、全く思いもよらぬ大勝であった。

第二回戦 対岐阜中”四中の大勝”

  岐阜中000000100−1
  四 中 00611001A−9

(新潮報)岐阜前回敗北の怨みを以て四中に殺到し、四中亦勝利を獲して優勝試合に出場せんとし戦前既に殺気漲る。一、二回両軍凡打に終、第三回四中安打と敵失を巧みに交へて一挙六点を収め大勢既に決す。爾後四中は四回、五回、八回に各一点を入れて総計九点を占む。岐阜投手を代へ奮戦せしも其の功なく七回の一点のみで、即ち九アルフア対一を以て四中大勝す。

大会の戦績(参加校八校)

 八月六日 愛知四中 22ー0   山田中学
        愛知一中  1−0   岐阜中学
        愛知二師 16−9   浜松中学
    七日 山田中学 22−12  大垣中学
        浜松中学  13−3   四日市商業
    八日 愛知四    9−1   岐阜中学
        愛知二   12−5   大垣中学
        愛知一中   9−0   四日市商業(四日市商業棄権につき、規定により九対〇で愛知一中不戦勝)

 かくて、二勝したのは愛知一中、愛知四中、愛知第二師範の三校となり、この三校で優勝が争われることとなった。

優勝戦 ”愛知四中対愛知一中”


 八月九日の第四日、午前九時から第一試合一中対愛知二師範が行われる予定であったが、二師が病人が多いとの理由で棄権したため、同日午後二時から一中と不戦勝の四中とで優勝戦を行うことになった。見物席は立錐の余地もないほどのなかで始まった。

(新潮報)東海五県連合野球大会最後の優勝戦は、二時四十分となるや芦田、花井両氏審判の下にゲーム開始さる。

  一中100002100−4
  四中00400100A−5

 第一回 四中守備につくや応援団まず拍手して応援大に努む。一中の一柳右翼のエラーに出で一挙三塁に突進す。前納中堅フライに倒れ、一柳生還す。長谷川一塁に邪球を得られて惨死、花井二塁のエラーに生き小島ピーゴロに倒れ、花井スタンデングとなる。
 △四中今泉ピーゴロに脆くも倒れ、小野田亦同じく貧弱なるピーゴロに倒れ、下山三振、一人として一塁に足を踏み入るる者なし。
 第二回 一中の加藤貧弱なる一塁ゴロに倒る、伊藤邪球を捕手に得られて惨死、石井三塁ゴロに刺され得点なし。
 △四中の小栗一、二塁間を抜く安打に成功、関三振、この隙に乗じ小栗二塁に突進して同時に二人倒る、悲惨の極、馬場四球に出で、下山弟ピーゴロに倒れ馬場空しくスタンデングとなる。
 第三回 一中の山本右翼に出で一柳右翼フライ惨死、同時に山本も倒れダブルプレイとなる。前納亦貧弱なるピーゴロに脆くも倒る。
 △四中の塩瀬三振、伊藤ピーゴロに生き其の失に乗じて一挙に二塁を抜く、今泉四球に出で、小野田右翼の安打に其の失に乗じ一挙二塁に突入、伊藤難なく生還し、今泉三塁に至る。場内破るる許りの大歓声、下山兄二塁ゴロに生き今泉生還、四中二点を占む。小野田三塁に進む、小栗立つや下山兄二塁に侵入、小栗遊撃ゴロに倒れたるも小野田其の隙に乗じて生還し、四中の得点三となる。下山兄三塁に進み、関遊撃のエラーに成功し下山兄亦生還、四中益々振ふ。馬場死球に出で関二塁に進む。下山弟三振しやむ、関、馬場スタンデングとなる。(四中得点四)
 第四回 一中の長谷川遊撃ゴロに出で遊撃一旦球を失せしも遂に一塁への投球成功して惜しき死を遂ぐ、花井右翼、中堅間の大飛球に成功し一挙にして三塁に突入す。獰猛恐るべく、小島ピーゴロに脆くも倒れ、加藤ピーゴロに倒れ猛将花井スタンデングとなる。
 △四中の塩瀬遊撃フライに倒れ、伊藤貧弱なるピーゴロに脆くも倒る、今泉三振。
 第五回 一中の伊藤遊撃直球に惨死、石井二塁ゴロに倒れ、山本又もや二塁ゴロに倒る。
 △四中の小野田遊撃ゴロに死し、下山同じ遊撃ゴロに惨死、小栗亦遊撃ゴロに倒る。
 第六回 一中の一柳中堅を抜く大飛球に成功し一挙にして三塁に突入、前納遊撃上の飛球に生き、外野の失に乗じ一挙二塁に侵入、一柳生還す。長谷川遊撃ゴロに死し、前納三塁を奪ふ、猛将花井立つ遊撃ワイルドに出で遊撃及び一塁の失に乗じ二塁に突入、前納生還一中軍二点を収む。小島二塁ゴロに死し花井三塁に至る、加藤左翼フライに倒れてやむ、花井又もやスタンデングとなる。
 △四中の関三塁ゴロに死し、馬場四球に出で下山弟も四球出で馬場送られて二塁に進む、塩瀬左翼前の快球を打ちて成功し初めて満塁となる。伊藤大責任を負って立つ、されど左翼フライに倒る。依然満塁也、今泉責任を引続いて立つ、今泉四球に出で馬場安々と生還す、依然満塁也、小野田亦責任を負って立つ、されど三塁フライに死し下山弟、塩瀬、今泉の三人スタンデングとなる。
 第七回 一中の伊藤遊撃ゴロに死し、石井二塁ゴロに脆くも殺さる、山本四球に出で、一柳右翼の大飛球に成功し山本生還、前納立つや一柳二塁に猪突し敢なくも刺さる。
 △四中の下山兄三振、小栗三塁ゴロに倒れ、関三振。
 第八回 一中の前納三塁ゴロに倒れ、長谷川二塁ゴロに死す、花井三振。
 △四中の馬場三振、下山弟亦三振、塩瀬二塁ゴロに倒れてやむ。
 第九回 一中の小島捕手に邪球を捕られて無惨の死を遂ぐ、加藤三振、伊藤ピーゴロに倒れてやむ。
 この時四中の得点五、一中四なりしを以て第九回の裏は打切となして、ここに試合を終り僅か一点の差を以て四中の優勝せり、時に午後四時五十分。

 ここに僅か一点の差を以て四中の優勝せり。第二回全国中等学校野球大会に出場すべき東海地方代表は愛知四中と決定した。

優勝旗授与式

 最優勝を占めし県立第四中学校は優勝旗及び大阪朝日新聞寄贈の花環を飾れる前に整列するや、市原教頭優勝旗をとって之を山崎校長に手渡し、校長は更に選手下山に授く。亦花環は同校市原教諭の手より校長に手渡し校長之を選手今泉に附与せり。それより一同記念の撮影をなし終って中松、芦田、村井の各審判は野次連の整列する前に立ってその労を謝し、下山及び満井先生亦謝辞をのべ、万歳を唱へ次いで選手その他一同また之に和して第四中万歳を高唱して首尾よく閉会を告たり。

校友会誌ではこの喜びを、

 我等は、此所に芽出度多年の宿願たる優勝旗を得たり。臥薪嘗胆、効此所に現れて、光栄ある優勝旗を得たり。これ吾も人も与に倶に喜ぶ所なり。
 夕方寄宿舎談話室に於て、先生先輩数十人の催しで、茶話会を開いて下さった。そうして十四日の午前に大阪に出発する事に決定した。
 ここに、一先づ大会の記事を結ぶに当って、長い間親しく御指導下された芦田村井中松の諸氏、伊藤青山戸倉牧野其の他の諸先輩、及び応援団諸兄に対して、満腔の感謝を表するもので有る。



第2回全国中等学校野球大会

出場校

 
関東地方代表  慶応義塾普通部     (東京)
 東北地方代表  岩手県一ノ関中学校   (一ノ関)
 北陸地方代表  長野県師範学校     (長野)
 東海地方代表  愛知県立第四中学校  (豊橋)
 京津地方代表  京都府立第二中学校  (京都)
 大阪地方代表  市岡中学校        (大阪)
 紀和地方代表  和歌山中学校       (和歌山)
 兵庫地方代表  関西学院中学校     (神戸)
 山陽地方代表  広島商業学校       (広島)
 山陰地方代表  鳥取中学校        (鳥取)
 四国地方代表  香川県立中学校     (高松)
 九州地方代表  中学明善校        (久留米)

 このうち、昨年の第一回全国大会に参加し、本年も続けて出場する学校は、昨年度の優勝校の京都二中と和歌山中学、鳥取中学の三校で、他は初めての参加であった。 大会前から優勝候補として呼び声の高かったのは、東京の慶応普通部と大阪の市岡中学の二校であった。なお今回から敗者復活戦制度を採用することになった。

愛知四中選手の出立

 大会は八月十六日から五日間、大阪箕面有馬電車沿線豊中(とよなか)球場で開催。愛知四中選手一行十六名は八月十四日朝出立したが、『校友会誌二十四号・野球日誌』は当時の模様を次のように伝えている。

 八月十四日の朝七時の汽車で一行十六人、幾多の抱負と堅き決心と、辛苦惨澹たる練習にて堅められたる選手一同は、幾多先輩後輩在校生に送られて、万歳の声諸共に豊橋を後にした。岐阜で中食をすまし、午後三時頃京都に着す。東寺の塔も煙霞の中に高く、疏水の眺は清く、いつになく気持が好い。四時に大阪に着し、大阪朝日新聞社の社員に迎へられて宿所につき、旅装をとく。

 翌十五日大阪朝日新聞社に挨拶に行った。新築中の大建築物の新室で石灰臭いにおいをかぎながら茶菓の饗応にあづかるも嬉しい。

 
抽選で敵は関東の覇者慶応普通部と決った。敵は数日前より大学部選手と綿習試合をしており中々の強敵である。緊張しきった選手の頭を一層しめつけた。豊中のグラウンドで長野帥範と共に練習、フリーバッティングが凄くあたる。皆必勝を期した。その日の夕方大阪ホテルの茶話会に出席し、有益なる講話を聞き、盛大に会を終り、八時半頃寄宿に帰り寝についた。

 日記はさらに、四中出場の試合は第二日の第三試合なので、十六日の午前中は十分に英気を養い、午後は北野中学の校庭で、フリーバッテングの練習をした旨を記している。

全国大会”慶応普通部”との力戦の経過

  慶応010000221−6
  四中000200000−2

 (新潮報)大阪豊中運動場全国野球大会における慶応普通部対豊橋中学試合は、八月十七日午後三時半より小西氏正審の許に、慶応先攻にて開始さる。

 ・第一回 佐藤遊撃グランダーし、ジョン中堅飛球二死の後山口右翼に大飛球せしを右翼手失して生き更に二塁に進みしも、塩川三塁に凡打す。
豊橋方今泉一塁ゴロを呈し、小野田右翼に大飛球を打ちしを右翼手失し一挙に二塁に至りしも、下山、小栗三振す。
 ・第二回 河野左翼に安打忽ち二塁を盗み、平川のバントに河野三塁に拠るを続く足立中堅右翼間を抜く好ヒットすれば、忽ち河野生還先づ一点を入る。出口、投手に凡打し、足立フオースアウトさる。出口又一塁手の球を匿し居るをコーチャーのミスにより塁を離れて凡死す。 
豊橋方関三振、馬場遊撃に凡打、下山(九)一塁に高飛球す。
 ・第三回 新田三振、佐藤遊撃に凡打、ジョン、ファウルして捕手に得らる。
豊橋方塩瀬三塁に、伊藤遊撃に、今泉は投手にグランダーして共に凡打す。
 ・第四回 山口二塁に飛球、塩川三振、河野遊撃飛球す。
豊橋方小野田右翼にヒットしてでで、下山小ゴロを三塁に呈せしに三塁手ミスして走者を一、二塁に生かし遂に小栗のグランダーに三、二塁に拠るを、小野田打者とのサインに焦って本塁に刺されたるも、捕手のボークに生還となり一点を回復す一死者なり。関バントして又下山を入れ一点を増し、更に馬場左翼に奥深く三塁打を飛ばして一挙三塁に拠る。下山(九)死球にでで(此時新田退き中堅山口投手となり、補欠田嶋中堅となる)更に二塁を盗み再び好機を作りしも塩瀬三振して止む。
 ・第五回 平川三振、足立は投手に出口は遊撃に何れも凡打。
豊橋方伊藤中堅飛球、今泉小野田三振。
 ・第六回 田嶋遊撃に高飛球、佐藤は投手に、ジョン三塁にゴロを呈し依然得点を加へず。
豊橋方又得点なし。
 ・第七回 山口二塁越に快打して出で更に二塁に至り、塩川又左翼三塁間に安打す、河野三振したるも一死者なり、続く平川遊撃を猛襲して生き満塁となるを捕手のパスボールに山口生還、更に足立、投手にゴロしたるを投手三塁に投じ其際巧みに塩川又も生還す。出口四球して重ねて満塁となるを、田嶋遊撃に凡打して平川本塁に殺到せんとして刺され、続いて佐藤、投手ゴロして止みたるも此回二点を入れ一点を勝越し、意気しきりに昂がりたるに反し、
豊橋方凡打凡死す。
 ・第八回 山口一死者の後四球を利して出で忽ち二塁を突破して三塁に拠り、更に敵の挟撃を巧みに潜りて本塁に殺到生還、快技を見せ次に塩川又左翼の奥深く三塁打し、続く河野の犠牲球に生還、計五点となり、意気愈昂がる。平川足立凡死。
豊橋方依然得点を作らず。
 ・第九回 二死者の後佐藤左翼中堅間に大安打して一挙三塁に入り、更にジョンの飛球したるを投手のミスに生還又々一点を加ふ、山口又も二塁の後方にヒットし、塩川四球して満塁となりたるも河野の凡打に終る。
 
豊橋方遂に得点を加へず。六対二にて慶軍の勝利となる。時に六時。

 ・概評 慶応対豊中は之又絶好の取組みにて、一は江戸っ子の派手を表し、一は三河武士の本領を遺憾なく発揮し、白熱戦を演じて観衆為めに湧く。試合の経過は先づ順当に行はれ実力の差がスコーアに表れたのである。慶普に山口が居る事は千金の重みがある。若い新田に代ってからプレートさばきの鮮やかな事、攻撃では常に勝因をなしている。殊に八回目に三塁本塁間の挟撃にあって巧みに生還せる處等はさすがに大学チームのRFであるとうなづかせる。
 豊橋方の投手の球勢の衰へなかったのは偉い、殊に得意のアウトカーブには慶軍も大分なやまされた様だ。又両軍の軽妙なプレーは屡々ファンをうならした。負けた豊橋も善戦して敗れたので堂々たる戦い振りは痛快であった。

優勝校”慶応普通部”

 慶応普通部は古い伝統のあるチームで、校籍はまだ普通部にありながら、慶応大学の選手として大学リーグで活躍している山口主将がおり、彼を第一投手としてなお新田、河野と豊富な投手団を擁し、選手全体の技量も頭脳も地方の中学チームとは比較にならぬ洗練された超一流チームであった。しかもベンチにあって采配を振るったのは、当時慶応大学の選手、後年慶応の名監督とうたわれた腰本寿であったから、今大会で慶応普通部が一回戦で愛知四中を敗ってのち、さらに香川商業、和歌山中学、市岡中学を連破して優勝したことは当然の結果ともいえた。

                  




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